2014年7月2日水曜日

『富士太鼓』について

 前回の『羽衣』について書いた中に、富士の不在が世阿弥関与の暗示であり、富士は観阿弥の象徴なのだと言いました。それについて私は、概ね次のような文章を用意していたのですが、少し困った事態が出来しました。
 しかし、まづはその文章をご紹介します。

〈以下引用。一部書き変えています。〉

『富士太鼓』よ。お前もか。


 『富士太鼓』について、少し考えてみたいと思います。

〈曲の紹介〉
 冒頭に萩原院の臣下(ワキ)が登場し、管弦の役を、住吉の楽人富士と天王寺の楽人浅間が争ったことを語る。「技量の優劣とは関係なく、帝の裁定で浅間に決まってしまった上に、浅間は富士の振舞いを憎んで殺してしまった。余りに気の毒なことで、もし遺族が訪ねて来たら形見のものを与えようと思う。」
 富士の妻(シテ)と幼い娘(子方)は、出かけたまま帰って来ない富士を待ち続けていたが、悪い夢を見て何かあったのだと知り、都へ訪ねて来る。
 ワキの臣下から富士が浅間に討たれたと聞き、驚き悲しむ妻は、やがて手渡された舞の装束を身に纏う。見れば太鼓が置かれている。富士が討たれたのもあの太鼓のせいだと思えば、狂おしさは高まり、恨みの太鼓を打ち鳴らす。太鼓を打ちつつ舞ううちに恨みは晴れ、涙は清らかに流れて行く。
 妻は舞装束を脱ぎ捨てて、それでもなお心乱れて、太鼓の有様を目に焼き付けつつ、娘と共に住吉へ帰って行く。
〈紹介終り〉

 観阿弥は静岡浅間神社の舞台の後急死した訳ですが、その原因は不明です。私は富士、浅間と言う名前と駿河と言う地名の関連から『富士太鼓』に観阿弥の死の真相が隠れているとではないかと思います。しかし観阿弥は、静岡浅間神社で見事な『自然居士』を舞っていますので、この曲の記述とは一致しません。
 ではありますが、少なくとも観阿弥が同業者との揉め事が原因で殺されたと言うことは、あり得そうなお話しです。
 ワキが仕える「萩原の院」は、後醍醐天皇の前の花園天皇のことです。実際にその頃、楽人同士の争いがあったようです。以前私は、この楽人同士の争いが、観阿弥の一世代前、つまり観阿弥の両親のお話しかと思っていました。能の現行曲の中に『梅枝』と言う曲があるのですが、これは『富士太鼓』の後日譚なのです。こんな私的な題材で二曲もの能が書かれていることから、これが一座にとって重大な意味を持つ出来事だと考えたのです。
 しかし、この曲が観阿弥の死を暗喩する曲であると考えれば、この「富士」と「浅間」という恣意的な命名にも納得が行きます。観阿弥である富士が住吉明神に仕えるものであるとすれば、天王寺の楽人浅間は誰なのでしょうか。住吉は神社ですから雅楽の楽人がいるのは納得が行きますが、天王寺は仏教の聖地です。果して雅楽の楽人を養成していたでしょうか。やはりこれは作り事なのです。住吉明神は『高砂』を始め色々な曲に文芸を守護するものとして登場します。世阿弥は特別な思いを住吉明神に持っていたと思います。
 一方天王寺と言えば『弱法師』ですが、これは世阿弥の長男とされる十郎元雅の作品です。この曲にも様々な謎が眠っているようですが、『富士太鼓』が創られるのは『弱法師』よりも随分前になると思います。前者に秘められた出来事を元にして後者の種が考案されたと考えるのが順当でしょう。ですから、今は『弱法師』の事は暫し置いておきましょう。
 犯人探しは恨みを抱く可能性のある者から当ってみるものでしょう。観阿弥に恨みを抱くものも多かったとは思いますが、中でも観阿弥以前に醍醐寺清滝宮の神事猿楽を勤めていた榎並は摂津猿楽の一座だったようですので、この辺りが怪しいのではないかと思われます。
 『富士太鼓』の作者は私は若い世阿弥であろうと考えています。世阿弥が観阿弥の死の真相を、かつての花園院での楽人同士の争いの中に移し変えたのがこの作品ではないでしょうか。

〈引用終り〉


 これに基づいてさらに色々進めようと思っていたところ、岩波講座「能楽」の中の能作者についての一稿に、『富士太鼓』は金春禅竹作の可能性があると書かれているではないですか。この本、観阿弥と世阿弥については目を通していたのですが、何となく金春禅竹は後回しになっていました。
 また、観世流にはない曲なのでうっかりしていましたが『富士山』という曲もあり、これが世阿弥作とも禅竹作とも、それぞれ根拠がありそうな具合です。と言う按配で、『羽衣』単体の考察ならまだしも、それを組み合わせて一冊の本に仕立てようというのはなかなか大変ですね。
 尤も、『富士太鼓』についてはその可能性もありという程度のことですので、世阿弥作だとする私の考え、と言うよりも従来の伝承にも全く分がないわけでもありません。逆にこのように読み解いてみれば、従来説の方が良いかも知れません。禅竹説に対して、それでは「富士」「浅間」の名前付けの根拠は何処に求めるのかと、問い掛けることも可能かも知れません。
 このあたり、私は学者ではないので、と言って逃げることに致しましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿