2014年12月17日水曜日

語り部の誕生

 先日、スリ足の起源が語り部ではないかと書いてから、語り部について様々に考えています。


 私たちの祖先がまだ文字を持たない頃、恐らくは三万年から一万三千年前の旧石器時代と呼ばれる頃に、自ずから技術の伝承がなされるようになって、知の蓄積が始まった。そしてその頃にも当然個体差はあるはずなので、人による得手不得手は当然あり、ある人は道具作りに秀で、ある人は道具を持って野山を駆け巡ってこれを使うのに秀で、またある人は天地の移り行きを読んで、人々の安全や生産性に資する事に秀でていた。
 その中に言葉に秀でた者がいたであろう事は充分考えられる。自然の移り行きを読んで、これを神の言葉として人々に伝える者もいれば、昔の出来事を語り伝える者もいた。尤も今の私たちはこれらを別々の事と考えるけれど、当時の人たちはその区別をせず、全部一緒くただったに違いない。ただ恐らくは、正しく語る者は尊ばれ、誤って語る者は排斥されただろう。さらに沢山語る者は人々の賞賛を得て、多くの富を得たかも知れない。
 正しい事を沢山語る者。
 その成功の元に人は集まり、その技術を伝える者たちが形成されて行く。即ちこれが語り部の萌芽である。
 ところで、権力者がこれを放って置くはずがない。
 何時しか人々を束ねて動かし、莫大な富を手中に収める者が現れる。いやいや。そう言う人は途中から現れるのではない。数家族が行動を共にすれば、もうその時には知と勇に優れてこれを導く者は必ずいるはずだ。しかし自らは直接生産する事なく、人を使役して富を得る少数の者たちが現れるのは、もう少し後の事ではないかしらん。
 そう言う権力者の中には、特に知と勇に優れていなくとも、親からこれを受け継ぐ者がいた。その正当性を使役される人々に納得させる為に、語り部は利用される事になる。
 語り部にも魂はあるのだから、悪逆非道な支配者の為に多くを語る事はなく、正道を歩む徳の高い支配者の為に多くを語る、となれば良いけれど、昔だからと言って世の中はそうそう単純な物でもあるまい。自らの仕える主人が敗れた時、勝利者を讃えなければ、恐らく語り部は殺されるのだ。生き残る為には内容を変えなければ。
 古い物語りは語り変えられ、善であったはずの者が悪になり、人であった者が鬼になる。
 年を重ね、やがて王が登場する頃には、物語は膨大な量になる。語り部たちは、世界の創造から、今の王までの一直線の物語りを語り出す。
 王様は神から連なる正当な支配者なので、大変偉大な存在なのです。皆さん。讃えましょうね。
 しかし、この膨大な物語りを語り部たちは如何にして語り伝えたのだろうか。そうそう。「語り部たち」と言っている様に、集団である事は間違いない。現代の私たちがうっかりすると考えてしまう、優れた記憶力を持つ特殊な個人の集まりではない。
 もう一度「正しい事を沢山語る」語り部の萌芽に立ち戻ってみよう。
 その語り部の元に、成功に与ろうとして、何人かの人が集まって来る。丁度落語家の元に弟子が集まって一言づつを鸚鵡返しに伝授され、一つの話しを覚えて行く様に。
 文字を持たない頃、人は何でも覚えていた。だからお祖父さんが昔語りを語るみたいに語る事位なら、大抵の事は何回か聞けば覚えてしまった事だろう。それでも人間の記憶の特質として、その内容は屡々変わって行く。何世代にも亘って、膨大な事柄を同じ様に語り伝える事は、多分出来ない。
 「我が先祖の歴史を語り伝えよ」と命じられた語り部たちは、大勢で声を合わせて朗唱する。その部族の者達は生まれた時から朗唱の響きの中で成長する。狩りや漁などに出て事故で死んだりしては、貴重な物語りが失われてしまう。語り部たちは王に養われ、集団での外出や移動は禁じられ、安全で安定した場所に生活を送る。
 王の権力を誇示する時の儀式には、語り部の主要な者達が出掛けて行く。安定した王権であるならば、部落には第二部隊と老人に女子供が残っている。もし出掛けて行った第一部隊に変事があっても、語りは失われない。こうなると愈々語り部は知の集積機関としての機能を発揮し始める。
 恐らく日本ならば縄文時代と呼ばれる頃には、有力な王の元には語り部がいたに違いない。

 長くなりましたので、語り部のその後については、また改めて。

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