『日本国憲法の曲舞』を公開します。
以前から憲法の前文を謡に作れないかと考えていましたが、赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』からヒントを貰い、草稿の英文にあたりました。
解題
福島第一原発の現状を思えば、今更護憲運動をしても虚しく思えます。
しかし赤坂真理さんは上の本の中で、戦争は時に非常に美しいものを生み出す、と言う様な事を書かれています。この本は様々な示唆に満ちていますが、私が最も胸を突かれたのはこの部分でした。それは能が戦乱の中から生まれ、戦乱により育まれ、徳川時代の太平の世に至って漸く完成されたものだからです。
日本国憲法は、先の戦争に負けて生まれました。実態不明の国体に拘り、民を消耗品としてしか見なかった愚かな指導者が、数百万の国民を無駄死にさせ、その亡国の廃墟の中から生まれて、燦然と私たちの父母たちに光を与えた事は、例えそれが押し付けられたものであれ、現憲法の栄光に間違いありません。その最大の魅力である国際平和の希求は、人類の歴史の中で絶えず求められ、その度に踏み躙られて来たものです。真にそれを実現するには、私たちは余りに愚かだったのでしょう。そう言う意味で、現在の私たちは過去の人々と全く変わらず愚かであり、自分たちが優れた民族であると思っている分だけ、余計に救いようがありません。
ここで私が、優れた民族であると言うのは、能が日本にあるからです。
能は、南北朝の戦乱の中から生まれました。足利義満は武力で幕府を維持出来ない現状から、文化行政により社会の安定を図ります。金閣寺はその一つの成果ですが、禅宗の普及も能の創設もそれに当たるのだと思います。
因みにたった今思いついたのですが、「能」と言う言葉がどうして生まれたかと言うと、これは「芸能」から「芸」を削って、芸の土台として基礎にある、人の中の優れた姿を表す記号として、「田楽の能」と言い、「猿楽の能」と言ったのではないでしょうか。当時の日記に「今日の舞台は真に猿楽の能であった」と書かれていると言う文脈にも叶う様な気がします。だとすれば、象徴の芸術とも省略の芸術とも言われる「能」の有り様に真に相応しいのではないでしょうか。
ともあれ、其処に世阿弥の天才が加わり、能が生まれました。応仁の乱に始まる再びの戦乱の中で、猿楽の能は武士たちを精神的に支えるものとして、充分その期待に応えるものとなり、多くの戦国大名に受容されて行きました。この受容の有様を、よく「愛好された」と表現しますが、私はもっと切実なものだったと考えています。
特に徳川家康の人間形成の基礎には、能の存在が大きいと思います。徳川幕府の元、三代将軍家光の時に能は武家の式楽となり完成されます。
戦争放棄と言う日本国憲法が掲げた、真の恒久平和を実現するには、応仁の乱が京都に及ぼした破壊に匹敵する災厄が、日本全体を襲おうとしている今、その精神を私たちの血肉とする必要があります。
私が、遅きに失していると知りつつ、憲法前文を曲舞に作ったのは、この様な次第です。
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