世阿弥の能には魂を浄化させる特徴があります。
幽霊や怨霊を成仏させ、
生き別れた我が子と再会し、苦難に陥った人はそれを突破してゆきます。
これは南北朝の長い戦乱から平和へ向かった時代に、人々の願いを舞台上に再現しようとしたためなのではないでしょうか。しかし、平和を求めて反幕府勢力を完全に掃討した結果やってきたのは、六代将軍足利義教による恐怖政治でした。人々が自由にものを言えなくなった時代です。「千手」はそんな時代に世阿弥の娘婿金春禅竹によって作られたと思われます。
大仏を焼失させ、死罪を免れ得ない平重衡に、遊女千手ノ前は芸能の力でひと時の平安をもたらしますが、重衡の運命を変えるまでには至りません。世阿弥の作品に比べて矮小化しているのは否めません。
しかし今、私にはこの「千手」の良さが身に迫るようになって来ました。
これは、閉塞した時代にひと時の心の平安を与える難しさに、正面から取り組んだ作品です。
今生に望みを失い、来世の平安のみを願う重衡に、千手ノ前の月並な慰めの言葉は届きません。前半は陰鬱な雰囲気が支配しています。これを破るのが千手の舞です。北野権現の霊力を頼み、来世救済の経文を朗詠し、それに続いて重衡の来し方を曲舞に舞い、序之舞によって「陰陽の気を整える(NHKの朝ドラで良い台詞を夏木マリさんが言っていました)」と、重衡も琵琶の演奏を始めます。一夜感興が尽されました。
夜明けと共に現実が押し寄せて、重衡は去って行きます。それを見送る千手ノ前の泣き顔の美しさが、愛おしく思えてなりません。
私が年を取ったこともあります。また今コロナ禍に苦しむ時代もあります。まさに時宜を得た演目となりました「千手」です。是非能楽堂で見届けて下さい。
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