2015年3月30日月曜日

能楽談儀の会

間近かのお知らせになってしまいましたが、下記のように「能楽談儀の会」と言う催しを致します。私の思う能の魅力について、一曲を取り上げてお話しし、私の謡と舞をご覧いただきます。また、皆様からの質問も頂戴しながらの楽しい会にしたいと思います。

第1回に取り上げますのは6月14日(日)にシテを致します『誓願寺』です。

第1回  能楽談儀の会

日時       4月5日(日)午後1時〜3時
場所       松陽閣(JR中央線国立駅北口ヨリ徒歩5分)
国立駅北口を右折し、線路沿いに直進。信号を渡りさらに直進し、突当りの階段を登り少し進んだ三叉路手前の左側の建物。 地図 
会費       一般 2,000円      会員 1,000円
申込み・問合せ  090-3136-8310(ナカショ)又は nakashonobuo@nohnokai.com
持ち物   謡本「誓願寺」。白足袋と舞扇。
               謡本はコピーをご用意しますが、お持ちの方は持参して下さい。
               足袋と扇は、お持ちの方はご持参下さい。
               スリ足体験をご希望の方でお持ちでない方はお申し出下さい。


「能楽談儀の会」について

世阿弥の子、七郎元能による「世子六十以後申楽談儀」は
遊楽の道は一切物真似なりと言えども、申楽とは神楽なれば、舞歌二曲をもって本風と申すべし。
の一文で始まっています。私は著作「能の裏を読んでみたーー隠れていた天才」で七郎元能を掘り起こしました。申楽が江戸時代に武家の式楽「能」となり、武士たちが修身に努めつつ美意識を磨く上でなくてはならないものになる、その素地を整えたのは元能だったのではないかと考えています。
大変僭越ではありますが、それにあやかり私の講座名をこのように致しました。

原則として具体的に一曲を俎上に上げて、その曲の解釈や背景を考えながら、謡を聞き、舞を見ていただきます。本公演の際の舞台鑑賞の一助になるようにしたいと思います。

また、時間の許す限りお話し講座の後に体験講座もしたいと思います。

『誓願寺』について

以下、演能案内のチラシに書いた文章です。

天智天皇が平城京に建立し、後に平安京に移された誓願寺は、現在京都三条の繁華街に小さいながら浄土宗の総本山として賑わっています。ワキとして登場する一遍上人が、布教の本拠とした頃はさぞ大寺だったことでしょう。また後段には和泉式部が歌舞の菩薩として登場する(後シテ)こともあり、古くから芸能者の信仰を集めています。
和泉式部は恋多き歌人として知られ、作品の評価とは別に、人となりは当時から非難の対象だったようです。しかし作者の世阿弥はそういう世間の評価に異を唱えて、和泉式部を歌舞の菩薩に仕立てました。世阿弥は芸能による悟道覚醒とそれによる鎮魂救済を目指していたと思います。この曲はそれが非常に純粋な形で表現されている世阿弥中期の意欲作ではないでしょうか。
この劇性を抑えた非常に能らしい能は、美意識に秀れた江戸時代の武士たちには殊の外尊ばれたことでしょう。その式楽の精神を最も色濃く表すのが能装束です。当日は、能装束と能面の美しさもお楽しみ下さい。

最後に演能のご案内のチラシです。

2015年3月27日金曜日

尹東柱(ユンドンジュ)の「雪ふる地図」

暫くブログを更新していませんでした。
これは昔フェイスブックのノートに書いた文章です。
結構気に入った文章なのでここに再掲します。



2011年2月14日 22:31

尹東柱は韓国の詩人です。一昨年の暮から年明けまで韓国の劇団コリペに能の指導をしたのですが、その時に韓国語の詩に能の節付けをして舞を作ろうと思い立ち、金世一(キムセイル)さんに尹東柱を教えてもらいました。日本の占領下、皇民化政策によりハングルの使用を禁止されるという、状況の中、日本の大学(立教・同志社)で学んでいた彼は、ハングルで詩を書くことをやめず、治安維持法違反で逮捕され、福岡刑務所に思想犯として服役中、薬物実験の犠牲者となり、1945年2月16日に亡くなります。
さぞ社会的な詩を書いたのだろうと、思われますが・・・・

雪降る地図 スニ(女性の名前)の去りし朝に 言うに言えぬ思いで牡丹雪が降りて、悲しいことのように窓の外遥か広がる地図の上を覆う。部屋の中を振り返れば何もない。壁も天井も真っ白だ。部屋の中にも雪が降るのだろうか、本当に君は消えた歴史のように一人で行ってしまうのか、去る前に伝える言葉があることを手紙に書いたが、君の行く先を追って、どの町どの村どの屋根の下、君は僕の心の奥にだけ残っているというのか、君のちっちゃな足あとの上を雪が次々被い隠して捜す術もない。雪が溶ければ残った足あとのひとつひとつに花が咲いて、花のあいだにも足あとを捜しに出かければ、一年十二ヶ月いつも僕の心には雪が降るのだろう。 

何と美しい詩ではありませんか。
尹東柱はキリスト者であり、愛国心を信仰の中に如何に昇華させて行くのかを求めた人だと思うのですが、そのせいか恋愛の詩はほとんどないのです。「雪降る地図」を愛の詩と読めば、美しく陶然とさせられます。しかし、この詩には日付があります。1941年3月12日。この頃、朝鮮総督府は朝鮮語教育を全面禁止します。雪が降って隠してしまっているのは、地図なのです。去ってしまった恋人は、消えた歴史のように一人行くのです。
尹東柱と言う人は、本当に清潔感のある清々しい顔をした好青年です。友と写真に写る時にも、必ず端の方ではにかんでいる。その人の心の中に雪が降り積もり、悲しみと怒りを覆い隠して、美しい花を私のもとへ届けているようです。
今日は夕方から雪が降り出し、東京も白く覆われています。私はこの詩を知ってから、雪が降ると「スニが去った朝に・・・」と胸の中で呟いてしまいます。

尹東柱
尹東柱