2016年2月27日土曜日

3月11日の鎮魂能楽らいぶ『中尊』を福島にて

二年前に創作した能『中尊』を3月11日に福島のお寺・安洞院の本堂で小規模ながら致します。


安洞院の横山俊顕さんは、昨年お父様の後を受けてご住職になられました。俊顕さんとの出会いは平成12-3年頃に岐阜県多治見市で催した「能楽らいぶ『融』」の時です。源融の歌「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」は有名ですが、横山さんの安洞院はすぐお隣にある文知摺観音を管理なさっていて、融のお墓を京都の清涼寺から分けてもらい、融が陸奥国の按擦使で赴任した際に地元で見染めたと伝えられる虎女と二人のお墓を並べてお弔いしている、そういうご縁で、福島からはるばる岐阜の多治見までいらしていたのです。

『中尊』のワキの詩人のモデルである和合亮一さんとの出会いもこの安洞院でした。
俊顕さんとのご縁により平成17年に『融』の能楽らいぶをやり、翌18年に『光の素足』をしたのですが、らいぶの導入部で童話「ひかりの素足」の朗読を安洞院の檀家である和合亮一さんに、朗読に挿入しての如来寿量品の読経を俊顕さんにしていただきました。

『中尊』は一昨年の九月に盛岡の一ノ倉邸での「中尊寺ハスを愛でる会」で初演しました。八月に一ノ倉邸に行き、中尊寺蓮のお話しを伺い、それまで震災の鎮魂を能でやらなければと、石牟礼道子さんの詩「花を奉る」だけ抱えて、気持ちばかり前のめりになっていた私に一つの道を与えてもらいました。その後の僅かの期間で辛くも作り出された作品です。
震災後三年の段階での曲であり、今回は舞台も変る事もあり、少し改作しなければいけないと思っていたのですが、稽古をしてみるとこれがなかなか直し様がないのです。一度作り上げて世に送り出した作品と言うものは、なかなか自分の思うようにならないものです。

『中尊』はこれまで4-5回の「能楽らいぶ」公演を行っています。今回は、能楽らいぶに「鎮魂」の場を与えられた事を期に、始めて面装束を着けて公演致します。






























2016年2月26日金曜日

『葛城 大和舞』を前に

2月28日(日)若竹能で『葛城 大和舞』を致します。今日(26日)申合せを既に終え、愈々本番を待つばかりとなっています。

『葛城』についてはこのブログに以前にも書きました。今回「大和舞」で再演するに当りますますこの曲が好きになりました。「役行者に縛めを受ける神様」、「人間なのに」などと思っているとこの曲は見えてこないのではないでしょうか。

「日本霊異記」などで語られる葛城明神の説話は、作者(おそらく世阿弥)にとってはこの能を具体化するための種の一つにすぎません。大和猿楽の者たちが奈良盆地に一座を構え、日々芸の研鑽を積んでいる時、南を見ればそこにはムックリと葛城山が聳えていました。吉野へ頻繁に通う際には葛城山の麓を通り抜ける、つまり最も親しみを感じる故郷の山だったと思います。
そしてそこには既に滅んでしまった大和舞の伝承がありました。芸能を伝える者として、神代に盛んに行われていた霊力を秘めた舞こそが、作者の目的だったのでしょう。「しもと結ふ葛城山に降る雪の間なく時なく思ほゆるかな」と言う古今集の「ふるき大和舞のうた」と題された歌を頼りに、その大和舞を復活させる、いや具体的なことは何もわからないので舞そのものではなく、舞の霊力を復活させる、そんなことを世阿弥は考えていたのではないでしょうか。

三代将軍義満が微妙ながらも作り出した平安の世を、何とか維持しようとする四代将軍義持。その下で世阿弥は芸能による平安の確立を本気で指向しました。私は世阿弥が芸に向う姿勢に、例えば禅の悟り、世俗に隔絶した修道僧たちなどと同じものを感じるのです。「歌舞の菩薩」と言い、芸を極める事で菩薩となり衆生を救済しようとするのです。平安の世の危うさを古い神の力、芸能の力で維持しようとする、その為に故郷の山に眠る神を縛めから解き放つこの曲を作ったのです。

一月の舞台より

去年は『誓願寺』と『唐船』の二番の能をしたのですが、今年は当たり年とでも言うのでしょうか、一月中に羽村市で『敦盛』(装束を着けての一部上演)をし、このブログでもご案内した相模湖能で『羽衣』を致しました。さらに二月に『葛城 大和舞』、五月に『葵上』、九月に『楊貴妃』、十一月に『光の素足』の他、三月十一日に福島での鎮魂能楽らいぶ『中尊』、その他未だ日程のはっきりしない催しもあります。いったいどうしてしまったのでしょう。
でも、一番一番に稽古を尽して行くのみです。何卒宜しくお願いします。

さて、今日は少し時間が出来たので、一月の舞台の写真を整理していました。

気に入った写真をご紹介して、催しのご報告とさせていただきます。

まづは羽村市ゆとろぎでの『敦盛』より。

 十六歳で一の谷の合戦で討たれた平敦盛の亡霊です。この催しは面打の新井達矢さんの仮面展との連動企画で、使用の能面も新井達矢作の「十六」です。

























次は、相模湖交流センターでの相模湖能『羽衣』。

羽衣を返してもらえず悲しむ天女と、返してもらった羽衣を身に纏い舞う天女です。

面はこれも新井達矢作の「小面」です。























写真はいずれも芝田裕之氏の撮影です。