2018年8月24日金曜日

9月17日(月祝) 「放下僧」 のご案内


舞台のご案内を申し上げます。

9月17日(月祝)に緑泉会例会にて「放下僧(ほうかぞう)」を致します。4月18日還暦記念の「卒都婆小町」で一区切りをつけ、この舞台からまた新たな一歩を踏み出します。






「放下僧」は敵討ちの曲です。
しかし他の多くの敵討ちの曲とは異なり、芸尽しを主眼としています。しかもその「芸」がよく分らないのが面白いという、とても変な曲です。

まづ前段で兄を敵討ちに誘う弟が、中国の故事を語るのですが、本来は敵討ちとは関係のないお話を、むりやり孝行譚に仕立てています。そして後段前半の仇に取り入るための禅問答は、何しろ禅問答ですからわけがわかりません。仇に近づいてから座興で舞う曲舞も、禅問答の続きみたいです。
しかし、それらをさも意味があるかのように演じる設定になっていて、能の演出とも言うべきしかけが、大きな力を発揮しています。

そして、お腹の前につけた鼓を打ちながら舞う「羯鼓」があり、続いて都の名所を謡い込んだ「小歌」の舞になります。この小歌は上べは名所尽しと見えて、実は裏に大変卑猥な内容を隠しており、それに気がついた仇が思わず笑い転げてしまいます。

世阿弥の美意識にこういうものはありません。しかしこの曲は、舞の美しさよりも、劇的な展開を指向したひとつの傑作です。

その笑い転げた隙をついて敵討ちを成就するのですが、その場面、仇役のワキは笠を残して退場し、その笠を仇に見立てるのも面白い演出です。
最後に「名を末代に留めけり」とありますが、シテの牧野某もワキの利根信俊も、それらしいモデルは実在しません。

いろいろ不審なことが多いこの曲ですが、私にはこのシテの舞姿に、嘉吉の変で赤松満祐が将軍義教を討つ時に、舞台で「鵜羽」を舞っていた音阿弥の姿が重なって見えるのです。音阿弥は最大の庇護者よりも、佐渡にある世阿弥を思って芸の限りを尽したのではないか。とすればこの曲は、人を殺すために芸の力を使ってしまったことに対する禊の曲なのかもしれません。

如何なる次第になりますか、是非見届けて頂きたく、ご案内申し上げます。