2014年7月18日金曜日

『砧(きぬた)』について(1)

 来たる十月十八日(土)に名古屋観世九皐会で『砧』を致します。舞台へ向けての稽古の一環として、私の思う『砧』の魅力を纏めてみようと思います。
 砧と言うのは、洗った衣を木の棒に掛けて、木槌で打って皺を伸ばしたり、柔らかくしたり、艶を出したりする民具で、古代より近代に至るまで庶民の中に広く行われていました。

〈曲の内容〉
 九州芦屋の領主(ワキ)が若い侍女夕霧(ツレ)を伴って登場して身の上を語る。「訴訟の為に上京し、直ぐに終わるつもりが三年になってしまった。故郷の事が心配なので夕霧を使いに下すことにする。」
 夕霧は、年の暮には必ず帰るとの言伝てを胸に、急いで下って行く。
 一方、上京して三年の間音沙汰ない夫を田舎で待ち続ける女。「鴛鴦(エンノウ。おしどりの事)の様に仲睦まじい夫婦でも、通って来た夫が朝には立ち去ってしまう、その時の妻の思いを想像すると、悲しくてたまらない。比目(ヒボク。必ず雌雄連れ立って泳ぐとされる魚で、ヒラメの事とも言われる)の様に枕を並べて睦み合っていても、いつか波に隔てられてしまうのではないかと心配でたまらない。男女の中とはそう言うものであるのに、かつてあれ程深く愛を交した人と、こんなに長く会えない日が続くなんて。悲しくて泣き暮らしてばかりいるのです。」
 そこに夕霧が、年の暮れには戻ると言う知らせを届けて来た。夕霧の所為ではないと知りながら、都の華やかさに引き比べて、田舎に一人残された寂しさを、恨み事のように言い募る女、その耳に、冴えた秋の夜の静けさの中、哀愁を帯びた砧を打つ音が聞こえる。
 昔、漢の蘇武と言う将軍が匈奴に囚われた時、残された妻子が夫に届けと、高楼に登って砧を打った。その時の音が万里の彼方の蘇武の旅寝に届いたと言う。
 身分賤しい者の仕事だが、女たちの思いは自然、衣の主たる男への思慕へと向かう。今、この女もその故事に習って砧を打つ。
 衣を打つ砧の音と松を吹く風の音が交じり合い、夜の寒さを風が教えてくれるようだ。秋風は絶え絶えに吹き、夫からの便りのない私にはいっそう寂しい思いが募る。この美しい月を夫も眺めているのだろうけれど、その月に私の寂しさが映って夫がそれを知るなどと言うことはきっとないのでしょう。
 この情趣溢れる秋の夜の気色は、私の悲しみを映しているようだ。古い詩に『宮漏(きゅうろう)高く立ちて風北に廻り。隣砧(りんてん)緩く急にして月西に流る』(具平親王の詩句から引用。宮殿の水時計が高く立ち、風が北に廻って行き、隣の砧打つ音はゆったりだったり慌しかったり、そして月は西に流れて行く)とあるけれど、蘇武の旅寝は北の国の事で、我が夫は東の空のにいるのだから、西から来た秋風がこの砧の音と私の思いを東の空に吹き送ってくれるように、衣を打ちましょう。
 女は健気に一途に夫を慕う。西から吹く秋風には、「どうかこの音を届けるように吹いて下さいね」と語り、「でも余り強く吹くとあの人の夢を破ってしまうから気をつけて。破ってしまったらこの衣も着られない。いえ衣だったら裁ち直せば良いけれど、あの人との仲が、恨めしいことにこの夏の衣のように薄いのだから・・・」思いが七夕の織女に及べば、水草を運ぶ波へと思慕を託し、秋の夜長に砧を打つ。その悲しみの声は虫の音に交じって、また涙を誘うのだ。
 しかし、そこにまた都からの使いが、年の暮れにも帰れないと知らせて来た。女の落胆は酷く、物思いに沈むうちに寝込んでしまい、とうとう亡くなってしまった。
 夫はこれを知り、急いで帰国する。何度後悔しても戻らぬ妻を想い、砧を据えて梓弓を鳴らす。女の幽霊がこの音に導かれて姿を現わす。
三瀬川沈み果てにしうたかたのあわれはかなき身の行く方かな
女は幽霊となっても悲しみの淵に沈んでいる。「標梅(ひょうばい。『詩経』より仲の良い夫婦の象徴)は幸せの標として春に光を並べ、後生の標となる弔いの燈は秋の夜の月のように、真如の悟りを示してくれるものなのに、私はこうして弔いをしてもらっても、邪淫の罪に成仏することが出来ません。地獄の鬼は、砧を打てと鞭で責めます。妄執の涙が砧にかかると、涙は火炎となり、その烟にむせんで、叫んでも声が出ません。いくら打っても砧も音がしないし、松風も聞こえません。これでは私の想いはあの人に届かない。そして鬼が私を責める声ばかりが聞こえるのです。」
 恐しさにうずくまる女だったが、気がつけば目の前に夫の姿がある。
 ある時は屠殺場に引かれて行く羊の歩みのようにのろのろと、ある時は路地の隙を一瞬で通り過ぎる馬のようにあっと言う間に、生死流転の六道を次々と廻って行くのに、妄執に縛られて、廻り廻れど生死の苦しみから逃れられない。
 「あなたをどうしても恨めしく思ってしまう、その姿が恥かしいので帰ろうと思うのだけれど、やっぱり思い切ることが出来ません。」女は夫の不実を責め、恨みをぶつける。「砧で例えた蘇武が旅雁に文を付けて万里の南国に便りをしたのも、妻子を思う情の深さ故ですのに、あなたはいったいどういうつもりなのでしょう。砧の音さえ夢に聞かないなんて。」
 一瞬、女の想いは男に迫るが、男が法華経を唱えると、恨みの心は溶けて、成仏の道が開かれる。思えばやはり夫を思って打った砧の声の中に、成仏の種があったのだと、幽霊は合掌して帰って行く。
〈内容終り〉


 長くなってしまいました。内容の要約と言うより、大切な部分はほとんど現代語訳に近いですね。でもこうして訳してみると、この女性の心理描写が本当に細やかで、その優しさ一途さが良く分ります。ともするとその美文調の壮麗さに圧倒され、また重習曲としての格の高さに眩まされて、この人の可憐さを見失いがちですが、本番に向けて私なりの意を尽せるように稽古致します。

 さて、『砧』と言えば、世阿弥晩年の名作として名高く、特に次男とされる七郎元能が『世子六十以後申楽談儀』の中で、「静かなりし夜、きぬたの能の節を聞きしに、かようの能の味わいは、末の世に知る人有るまじければ、書き置くもものくさき由、物語りせられし也。」と書いているために、より特別の曲という趣きがあります。
 もちろん曲そのものに向き合えば、その特別さは充分に感じられるのですが、私の「裏読み」妄想力はここでも発動してしまいました。お陰でこれだけの文章を書くのに随分日にちがかかりました。さてその思い付きが、この次に形になりますかどうか。



2014年7月9日水曜日

ある出会いと記憶の不思議



一昨日のことですが、朝稽古の後時間が空き、丁度その日から始まる若手の面打五人による展覧会に行って来ました。

皆なかなかのレベルで、面打ちの世界にも若い人たちが出て来ました。

能面というのは、室町時代に最高のものが作られて、その後は本面の写しを専らとして来た世界です。自分の解釈などと言うものを簡単には受け入れてくれません。

古典の持つ形式の力を、それに縛られていると考えるか、その恩恵に与っていると考えるか、それは人それぞれですが、新しいものを生み出そうとする試みが屡々陳腐なものに堕してしまうのは、古典を十分消化していないためだと思います。その意味でこの5人の皆さんは、古典を真摯に追求していらっしゃるように見えました。

さて、この「五感」の一人である新井達矢さんと私の出会いは、ちょっと面白いのでどこかに書こうと思っていたのですが、良い機会なので書いて置きたいと思います。

それは平成16年ですから丁度10年前の1月5日。私は3日からの3日間、自宅の舞台を公開して杉本洋画伯作の鏡板の老松の絵と能装束・能面を見ていただく催しをしていました。公開と言っても大した宣伝はしていませんので、お正月のこともあり、知り合いが時々訪れるくらいのことでした。その最終日に父子と思しき40代くらいの男性と毬栗頭の男の子が地元の新聞を見てと言って、来て下さいました。

私は当然お父様にいろいろ説明してお話ししたのですが、ひと通りの説明が終った時に、お父様が傍らの男の子に「どう?」と言う感じで顔を向けたのです。その瞬間に、「あれ、本当のお客様はこの男の子だったのかな」と言う疑問が浮かび、続いて昔読んだ新聞記事の記憶が急に甦って来ました。

その記事は、「能面の人間国宝・長澤氏春さんの下に小学生が弟子入りした」と言うようなものでした。ひょっとしてと尋ねると、まさにその男の子がその小学生の成長した姿で、それが新井達矢さんでした。

先程から「男の子」と書いていますが、そのようにしか見えなかったのですね。二十歳は過ぎていたのですから、大変失礼なことですが、当時の私の衝撃を知ってもらいたいので、敢えてそう書きました。

その翌日に彼がこれまでに打った能面を見せてもらったのですが、それがまた衝撃でした。私は、彼が13歳の時に打った「泥牙飛出(でいきばとびで)」の一面に、全く魅せられてしまいました。その年の秋に「殺生石(せっしょうせき)」をやることになっていたのも、また巡り合せでした。

それから早や十年になるのですね。あの時に何故あの記事のことが突然思い出されたのか、本当に不思議ですが、そういうことは私たちを取り囲む出来事の中に、気付かず埋もれているのでしょう。

2014年7月6日日曜日

日本解放と能『葛城』

 村松恒平さんのメルマガが、久しぶりに届きました。この人がどういう人なのかを説明するのは難しいのですが、三・一一以後にツィッターで知り合いました。最近になって、私の舞台も見て下さっています。
 末尾にご本人も奨励されていますので、以下にメルマガ本文の全文を掲載します。


〈以下〉
村松恒平のシークレット・ドクトリン
第5号「日本解放呪術の方法論」

今月の一文(from facebook)

●●

こうなったら おまじないででも、日本をなんとかしたい、という皆様に贈ります。

■誰にでもできる簡単な日本解放の呪術のやり方

意識を地面の下に深く深く下げていきます。
そこに囚われた日本の神々がいます。
そのエネルギーを感じたら……

刀で神を縛っているエネルギーの鎖を断ち切ります。
解き放たれた神のエネルギーは光や熱を放ちながら地上に向かって上昇してきます。

これで神は解放されますが、上昇してくるエネルギーの一部は必ず自分のうちに取り込んでください。

それがあなたのエネルギーになると同時に、神様への回路となります。

いつも内側 に神様を感じてください。

●●ここまで●●

2014年7月1日、僕はfacebook上で一つの呪術の方法論を公開しました。

今回は『感覚』について論じるつもりでしたが、緊急に上記の原稿に差し替えます。
文中「こうなったら」とは、7月1日、安倍政権が憲法解釈を歪めて、集団的自衛権を使えるように閣議決定したことに対するものです。

平和憲法という日本国の背骨を一内閣の恣意が歪め、戦争への道を開くものです。

米国に「自由社会の危機だ」と言われたら日本人が戦場に行かなくてはなりません。戦場に行って戦闘に巻き込まれない選択肢はありません。
「国際法上、戦闘の前には宣戦布告をしないといけない」と言われています。

つまり戦争の当事国になるということです。

そういう選択をすべて内閣の一存で塩梅すると言っているのです。

読者の中には、安倍政権のこの決定を支持している人がいるかもしれませんが、それは、戦争への距離がまだ遠いと思っているか、戦争になっても自分は構わないと思っているかどちらかだと思います。

どちらも間違いです。

読者として僕が書いてきたものへの信頼があるなら、もう一度虚心に反対意見に耳を傾けてください。

**
■日本解放呪術の解説

実際に一度してみてから読むことを勧めます。

*

地中に意識を下ろして行ったときに、そこに囚われた神のエネルギーを感じることができましたか。
囚われた神のエネルギーというのは、わだかまりのようなものです。
エネルギーがそこに溜まって解放されたくてうずうずしている。
ほのかな熱や圧力があります。

本当にあるかないかの、ほのかなものでいいのです。
それは一つの感覚の開発です。

なぜなら感じない人もいるからです。
ある人は感じる。
ある人は感じない。
そこにあるのは、感覚器官が開花しているかどうかの差です。

物質の感覚はたいへん強く明瞭です。
それと同様の確かさを探し続けると、ついに新しい感覚を得ることができません。
これではないのではないか、という疑いの雑音は感覚より強いからです。

ほのかにぼうっとイメージしてみる。
これは違うんじゃないかとは思わないことです。
そのような疑いを捨てると安定してきます。

イメージして感じることには人為操作があります。
つまり人が意識的に投影する。
それを過度に警戒すべきではありません。

投影してほのかに感じる。
それでいいのです。

投影しなくても受動的に確かなものを受信する。
それは霊能者の世界です。
「見える」者だけが特権を持つ世界です。
こういう特権的な世界は嘘が入りやすい。
投影することを認めると、目に見えない世界は特権的なものから広く誰でもアクセスできるものに変わるのです。

目には受信する機能と投影する機能の2つがあります。
僕のやり方はそれを同時に使います。
それによって、誰でも目に見えないエネルギーに対する感覚を持つことができます。

地中に囚われた神、上昇してくるエネルギー、自分の中に入って来るエネルギー、これらが少しでも感じられれば一つの儀式の成就になります。

自分の中にエネルギーが入って、ぽっと身体が温かくなるような感覚がある。
それは、イメージの世界から身体という物質に通じる世界にエネルギーが移行したことになります。

イメージしなければ起きなかったことが、イメージすることによって身体内部で起きた。このささやかな差異、揺らぎ、ブレをテコに利用するのです。

自己催眠や自律訓練法でも身体が実際に温かくなったりします。
しかし、科学の領域に神という概念はありませんから、一人の個体の中でその働きは終わってしまいます。
それでは中途半端なのです。

さて、身体に反応が現れることでイメージは象徴になります。
象徴とは何かは説明が難しいのです。なぜなら象徴は次元を超越した存在だからです。
ここでは象徴は「イメージが結晶した物質」と考えましょう。

ピラミッドパワーとか、神社のお守りとか、カバラの生命の樹とか、物質的な象徴はたくさんあります。
しかし、人の身体ほど象徴の塊のような存在はありません。
というのは、人は神様の最高傑作ですから、神様のイメージが結晶しているのです。

ダンスや演劇はもともと、その象徴性に基づく儀式であり、鍛錬であり、顕現であったのです。

象徴自体はエネルギーではありません。エネルギーを誘導し、転換する装置です。一つの例をあげれば太陽光に対するプリズムのようなものです。
正しい位置にセットすれば、虹色が見えますね。

象徴はこの比喩だけでは語れませんが、きれいだからいいでしょう♪

僕のしている内臓ダンスとシンクロームは、この象徴のささやかな揺れを使って、身体を縛っているタガを外していきます。
その結果、大きな変化を得るものです。

内臓ダンスは内側から象徴を創造的な状態にします。シンクロームは象徴によって外から働きかけ、身体の自然性を回復します。

身体の中はつねにある状態で均衡しているのです。つなひきで両方で同じ力で引き合っている。
50対50の力があるとしますと、そこに1の力をくわえてやるだけで、大きく動きだすのです。

僕はこの力は小さければ小さいほどいいと考えています。
というより力でない力のようなものがいい。
均衡だけ崩せばいいのです。

「ダムの崩壊も蟻の一穴から」というでしょう。
蟻が這い出るような小さな穴から水が一筋流れ出す。でもその水がゆっくり周囲をうがっていく。水の流れは次第に大きくなって、最後にはダムを崩壊させてしまう。

ここで大切なことは、水の圧力は自然のものであり、ダムは人為であるということです。人為ではなく、自然のほうに味方する。そうすれば、最小の干渉で最大の効果が出るのです。

今は何事もパワー、物量の世の中ですから、ささやかな力を人は見ません。しかし、物事を自然に還すのは、微力のほうがいい。
なぜなら強い力であれば、それは人為になってしまって、自然と溶け合わないからです。

医学では、人を「こわれもの」として扱います。僕は人の身体を自然という観点から見ます。
生命の自然は健康に生きていることです。

だから、自然に戻してやるのに、最小限の力を使って行く。
それが象徴の力です。

象徴の力を使う体系は、魔術とか呪術と呼ばれてきました。
何かおどろおどろしく複雑です。

なぜそんなに複雑なのかというと、一つには簡単だとありがたみがないからです。

たとえば、祈祷師が護摩壇を作って、轟々と火を焚き、何日も呪文を唱え続ける。そうすると、高いお金が取れます。
助手がその間にあれこれ調べたり工作したりすることもできる。
病気平癒であれば、時間を稼いでいるうちに自然に、あるいはプラセボでよくなることもある。
だからなるべく大げさにしたのです。

僕のはミもフタもないくらいシンプルです。
真空管がトランジスタになったくらい(古い!)高度に集積化されてシンプル
です。
ごまかしようもありません。
だから高いお金をとれません。
それは多くの人に知ってもらいたいからです。
その意図にも関わらず、ちっとも広がらないのは困ったことです(笑)。

というわけで僕は、象徴の力を健康という自然に対してだけ使っていましたが、今回の危機に際して、その原理を日本全体に対して使うことを解禁しました。
象徴は、お寺の石庭で仏教的な全宇宙を表現したりするものですから、大きさはあまり関係ないのです。

象徴は大きさではなく、角度なのです。たとえば5度の角度は小さい。しかし、5度の開きのある線分をどんどん伸ばして行くと、遠くに行くほど二つの線分は離れていきます。
地上で5度の差でも、太陽の当たりまでいくと……計算できませんが、すごい
差でしょう(笑)。
でも5度は5度なのです。
その微妙な差異を作り出すのです。

だから、身体に有効であったものが、日本全体に有効であってもさほど不思議ではないのです。

その働きは自然に戻すことです。
僕はいま日本は明らかにバランスを欠いていると思います。
バランスを欠いているということは、新たな均衡への動きのエネルギーを秘めているということです。

そのエネルギーが地中に囚われている神です。
これが動き出す。
その結果がどうなるかはわかりません。
いわば眠っているドラゴンを起こすようなものです。

集団的自衛権の閣議決定が自然であるならば、そちらが力を得るかもしれません(僕はとてもそうは思いませんが)。

上昇してきたエネルギーの一部を自分に取り込むのはここです。
どこに行ってしまうかわからないエネルギーではなく、自分が一部を取り込むことによって一体になるのです。
一体になることによって恐怖がなくなります。
自分も神の一部になる。
僕の神という言葉は自然という言葉を代入してもらってかまいません。
自然イコール神です。
イコールであるにも関わらず言葉を使い分けているのは、日本語の用法の中で二つの言葉が分かれさまざまに使われているからです。自然という言葉か神という言葉か、どちらか一つに全部統一してしまうと、たぶん読者の人はしっくりしない表現が出て来ます。

神と一体になるということは、自然と一体になるということです。
これによって自分も余計な力が抜けて自然な生き方になります。
神様とつながっているのだから、人為でがんばる必要がありません。

自分自身のもやもやした曇りをなくして、すっきりしましょう。
個人が抱えているもやもやが集まって、もっと大きなもやもやを形成します。

小さなもやもやが消えると大きなもやもやも消えます。
世界と自分はつながっているのです。
そのつながりの感覚がなくなると、人は自分自身を浄化できなくなります。

それで、日本を戦争の方向から救えるのか? それはわかりません。
ただいくつかのスイッチが入って、エネルギーが流動的になることは間違いありません。
エネルギーは流れているのが自然で、固着しているのは、人為的な要素が入っていてよくありません。

それと、祈りは結果を求めてはいけません。
神社でお祓いをしても、結果の追跡調査はしませんね。
そのとき浄化が起きればそれが結果です。
それが波及していくところは追いません。

世界平和を祈る、ということがありますが、これは結果を求めています。
しかし、実現していませんね。
祈りが足りないからとか、そういうロジックになってしまっては隘路に入ってしまうのです。

平和という結果を求めては、自分が大金持ちになりたいと祈る願望実現と変わらなくなってしまうのです。
金持ちになりたいのはエゴで、平和は崇高だというのも違います。
自分がイメージする平和を祈るのはエゴと変わりません。

祈りというのは、これがよい、これは悪いという判断を含んではいけないのです。あの人はいい人だから幸せにしてください。あの人は悪い人だから懲らしめてください。
それはその人の考える善というエゴです。
エゴがあるのはかまいませんが、それを善だとか理想だとかと混ぜてはいけません。
そうすれば、善を自分のエゴまで引き下ろすことになります。

僕にとって祈り、呪術、おまじない、シンクロームといったものは、力学です。
エネルギーに関する理解です。
地球内部にあるドロドロのマグマ、それはエネルギーです。
しかし、それが噴火によって噴出して冷え固まった溶岩、それはエネルギーではなく物質です。
結果は冷え固まった溶岩のようなものです。
溶岩はもう動きません。
僕らはまだエネルギーの段階で働きかける。
だから結果も変えることができるのです。

かつての左翼運動では、基本的にこのようなイマジネーションの意味を認めませんでした。
社会主義は唯物論ですから、物質的な過程に関わらないことは現実逃避だと思われたのです。

でも、実際は変化が起きます。イマジネーションと身体が変わるのです。

デモに行っても、警官隊や柵が隊列を阻みます。
結局何も変えられないのではないか、という閉塞感に囚われることもあるでしょう。
精神を閉塞させてしまっては何もなりません。
しかし、イマジネーションは誰にも止めることができません。

止めるものがあるとしたら、自分自身だけです。
まず自分自身のアンバランスを取り除いていきます。
そのような自由な空間でイマジネーションを創造的に動かしていくことが全体のエネルギーの可動性を高めるのです。

facebookにこの呪術を載せた夜、何人かの人がシェアしてくれました。
実際に試してくれた人もたくさんいます。
僕も何か地中から動き出すエネルギーを感じ続けて感動しました。

このメルマガが送られた日もやはり感じると思います。あなたももしこの行法を自分でしてみてください。そのあと、心をしんとさせれば他の人のエネルギーを感じるでしょう。それは勇気になります。

ぜひ試してみてください。
この呪術は一日一回。そのあと地中にエネルギーを感じる限り、何回行ってもかまいません。
なにしろ日本には八百万の神がいるのです!

日本のエネルギーを解放しましょう。

(このメルマガは出典さえ明記すれば、ブログやfacebookに一部、または全部を転載してもかまいません。とくに今回は多くの人にこの日本解放の呪術を知ってもらいたいと思っています。呪術だけの転載、全体の転載が可です)

〈以上〉


 さて、ここで村松さんが書いていらっしゃる呪術の方法は、能楽師にとっては何も特別な事ではありません。具体的なやり方は勿論違います。ここでイメージを使って象徴を作り出すのと同じ状況を、能では謡う事、舞う事、お囃子の音楽やあの不可思議な舞台装置、さらには能面と能装束に至る迄、その全てを挙げて作り出しているのです。
 地霊を解放して自らの中に取り込み、その寿福をその場に立ち会う全ての皆様と共有する、能はそういうものであるからこそ、舞台芸能の宿命から離れて、六百年の命脈を得ています。表面では、人間の感情を扱っているような曲でも、その根底には古代から続く呪術が色濃く在るのです。
 いやむしろ能ではその様な呪術性を、舞歌の包装で包んで表面上見えない様にしている事も重要なのかも知れません。
 さて、表題に掲げました『葛城』(能では「かつらぎ」ではなく「かづらき」と発音しています)は、当に地霊を解放することを扱った曲です。

〈葛城について〉
 出羽の羽黒山の山伏(ワキ)が葛城大峰に参り、折しもの大雪に山中で道を失い困っていると、一人の中年の女が現れて、山伏一行を小屋に案内する。
 女は山仕事で採って来た薪を焚いて暖を施しなどするのだが、その際に薪の事をシモトと古語で呼んだり、古くから土地に伝わる大和舞の事を仄めかしたり、山伏と葛城の事など物語りなどしながらもてなす。
 火によって荷物を乾かす事の出来た山伏は、日課の勤行を始めようとするのだが、女は悩みがあると言い加持を頼む。色々と尋ねると、女は自分が葛城の神で、役行者に課せられた岩橋を掛けなかったために、術で身を縛られて苦しんでいる、どうか助けて欲しいと、山伏たちに頼んで姿を消す。
 一行が祈祷していると、葛城明神が岩戸の中から、蔦葛で雁字搦めになった姿で現れる。更に祈祷を続けていると、戒めから解き放たれた神は、厳かにやがて軽快に舞を舞って山伏たちを祝福するが、夜の明けるとともに容貌の露わになるのを恥つつ岩戸の中に姿を消す。
〈葛城終り〉

 能では一日の演能を、翁に続く神男女狂鬼の五番立てとするのが正式なものとされて来ました。そしておよそ二百番の演目を、夫々、神物、男物、女物、狂い物(現在物)、鬼物に分類しています。
 その中でこの『葛城』は分類に困る曲です。シテは紛れも無く神様ですが、山伏に救済を頼まなければいけない程無力な神様です。初番に演じるには相応しくありません。と言って幽玄を志向する三番目の女物でもなし、仕方なく四番目に入れはしても、狂い能でも劇的現在能でもありません。
 そう言う類型から眺めた時、一体この曲は何を志向して作られた曲なのか不明です。まつろわぬ民の存在を掘り起こすにしても、どうしてこの様に描くのか疑問でした。

 しかし今回の村松さんのメルマガを読んでいたら、ああ、葛城はこれだ、と思い当たった訳です。地の底に閉じ込められた古い神を解き放ち、そのエネルギーを自らに取り込む。呪術の方法として、そう言う物が実は昔から存在していた、その一つの証しを『葛城』に見ることが出来ます。

2014年7月2日水曜日

『富士太鼓』について

 前回の『羽衣』について書いた中に、富士の不在が世阿弥関与の暗示であり、富士は観阿弥の象徴なのだと言いました。それについて私は、概ね次のような文章を用意していたのですが、少し困った事態が出来しました。
 しかし、まづはその文章をご紹介します。

〈以下引用。一部書き変えています。〉

『富士太鼓』よ。お前もか。


 『富士太鼓』について、少し考えてみたいと思います。

〈曲の紹介〉
 冒頭に萩原院の臣下(ワキ)が登場し、管弦の役を、住吉の楽人富士と天王寺の楽人浅間が争ったことを語る。「技量の優劣とは関係なく、帝の裁定で浅間に決まってしまった上に、浅間は富士の振舞いを憎んで殺してしまった。余りに気の毒なことで、もし遺族が訪ねて来たら形見のものを与えようと思う。」
 富士の妻(シテ)と幼い娘(子方)は、出かけたまま帰って来ない富士を待ち続けていたが、悪い夢を見て何かあったのだと知り、都へ訪ねて来る。
 ワキの臣下から富士が浅間に討たれたと聞き、驚き悲しむ妻は、やがて手渡された舞の装束を身に纏う。見れば太鼓が置かれている。富士が討たれたのもあの太鼓のせいだと思えば、狂おしさは高まり、恨みの太鼓を打ち鳴らす。太鼓を打ちつつ舞ううちに恨みは晴れ、涙は清らかに流れて行く。
 妻は舞装束を脱ぎ捨てて、それでもなお心乱れて、太鼓の有様を目に焼き付けつつ、娘と共に住吉へ帰って行く。
〈紹介終り〉

 観阿弥は静岡浅間神社の舞台の後急死した訳ですが、その原因は不明です。私は富士、浅間と言う名前と駿河と言う地名の関連から『富士太鼓』に観阿弥の死の真相が隠れているとではないかと思います。しかし観阿弥は、静岡浅間神社で見事な『自然居士』を舞っていますので、この曲の記述とは一致しません。
 ではありますが、少なくとも観阿弥が同業者との揉め事が原因で殺されたと言うことは、あり得そうなお話しです。
 ワキが仕える「萩原の院」は、後醍醐天皇の前の花園天皇のことです。実際にその頃、楽人同士の争いがあったようです。以前私は、この楽人同士の争いが、観阿弥の一世代前、つまり観阿弥の両親のお話しかと思っていました。能の現行曲の中に『梅枝』と言う曲があるのですが、これは『富士太鼓』の後日譚なのです。こんな私的な題材で二曲もの能が書かれていることから、これが一座にとって重大な意味を持つ出来事だと考えたのです。
 しかし、この曲が観阿弥の死を暗喩する曲であると考えれば、この「富士」と「浅間」という恣意的な命名にも納得が行きます。観阿弥である富士が住吉明神に仕えるものであるとすれば、天王寺の楽人浅間は誰なのでしょうか。住吉は神社ですから雅楽の楽人がいるのは納得が行きますが、天王寺は仏教の聖地です。果して雅楽の楽人を養成していたでしょうか。やはりこれは作り事なのです。住吉明神は『高砂』を始め色々な曲に文芸を守護するものとして登場します。世阿弥は特別な思いを住吉明神に持っていたと思います。
 一方天王寺と言えば『弱法師』ですが、これは世阿弥の長男とされる十郎元雅の作品です。この曲にも様々な謎が眠っているようですが、『富士太鼓』が創られるのは『弱法師』よりも随分前になると思います。前者に秘められた出来事を元にして後者の種が考案されたと考えるのが順当でしょう。ですから、今は『弱法師』の事は暫し置いておきましょう。
 犯人探しは恨みを抱く可能性のある者から当ってみるものでしょう。観阿弥に恨みを抱くものも多かったとは思いますが、中でも観阿弥以前に醍醐寺清滝宮の神事猿楽を勤めていた榎並は摂津猿楽の一座だったようですので、この辺りが怪しいのではないかと思われます。
 『富士太鼓』の作者は私は若い世阿弥であろうと考えています。世阿弥が観阿弥の死の真相を、かつての花園院での楽人同士の争いの中に移し変えたのがこの作品ではないでしょうか。

〈引用終り〉


 これに基づいてさらに色々進めようと思っていたところ、岩波講座「能楽」の中の能作者についての一稿に、『富士太鼓』は金春禅竹作の可能性があると書かれているではないですか。この本、観阿弥と世阿弥については目を通していたのですが、何となく金春禅竹は後回しになっていました。
 また、観世流にはない曲なのでうっかりしていましたが『富士山』という曲もあり、これが世阿弥作とも禅竹作とも、それぞれ根拠がありそうな具合です。と言う按配で、『羽衣』単体の考察ならまだしも、それを組み合わせて一冊の本に仕立てようというのはなかなか大変ですね。
 尤も、『富士太鼓』についてはその可能性もありという程度のことですので、世阿弥作だとする私の考え、と言うよりも従来の伝承にも全く分がないわけでもありません。逆にこのように読み解いてみれば、従来説の方が良いかも知れません。禅竹説に対して、それでは「富士」「浅間」の名前付けの根拠は何処に求めるのかと、問い掛けることも可能かも知れません。
 このあたり、私は学者ではないので、と言って逃げることに致しましょう。