2016年11月18日金曜日

能の言葉(二)

げにや偽りの
なき世なりせばいかばかり
人の言の葉嬉しからん
愚かの心やな
愚かなりける頼みかな

これは能『砧』の一節です。

九州芦屋の領主某の妻が、訴訟の為都に上った夫を待ち焦がれていると、下女の夕霧が、この年の暮れには帰るとの伝言を伝えて来る。一寸上京して来ると言われて三年待っている身としては、伝えられた言葉を信じ切る事が出来ない。しかしそれを信じる事でしか今の自分を支える事が出来ないのを、彼女もわかっていて、信じる事の愚かさと、信じようとする心の愚かさを嘆いている。

特に、普通は同じ言葉を繰り返す納めが、「愚かの心やな、愚かなりける頼みかな」と微妙に変えてある事に、彼女の心の複雑さが窺えます。

処で意外な本の中にこんな歌を見つけました。

いつはりと思はで頼む暮もがな
待つ程をだに慰めにせん
(吉川弘文館・人物叢書『赤松円心・満祐』)

これは赤松則祐の歌で『続拾遺集』に採られた三首の中の一首です。『砧』を参考にして詠んだのかな?と思われる方もいらっしゃる事でしょう。
しかしそれでは時間軸が逆様です。赤松則祐は、室町六代将軍足利義教を暗殺した赤松満祐の祖父、幕府草創期の大立者で、世阿弥より50歳位年上ですから、世阿弥晩年の作とされる『砧』が作品化される遥か前の話です。寧ろ『砧』の作者がこの歌に影響を受けていると考えるべきではないでしょうか。
世阿弥はその伝書の中で、猿楽以外の事に興味を持つ事を戒めていますが、唯一の例外として歌道だけは能を作るのに必要だから学ばなければならないと言っています。
それでは世阿弥は誰から歌道を学んだのでしょうか。二条良基ばかりが目立つのですが、当時の歌道界の第一人者は今川了俊の様に思われます。
世阿弥の作品の多くが北九州を舞台とし、今川了俊が九州探題であった事を思えば、二人の交流は充分考えられます。そして畿内と筑紫を船で往き来するとなれば、赤松氏の播磨に立ち寄るのは必然です。
世阿弥の頃は則祐の息子の代になっていますが、先代の勅撰の誉れの一首であれば当然話題になったと考えるべきです。


2016年11月10日木曜日

能の言葉(一)

(原文)

よしや何事も夢の世の

なかなか言はじ思はじや

思ひ草  花に愛で

月に染みて遊ばん


(私訳)

そうですね。この世に起こる事は全て夢の中の出来事で、それについては簡単に言葉にはしないでおきましょう。思う事は草の様に雑多に湧き出でて来ます。その中の幾つかを取り上げて言葉に作れば、それは花となり、月の光が花を美しく見せる様に、佛性の光でその言葉を磨き上げて行きましょう。何と楽しい事ではないですか。


ーーーー


これは能『姨捨(おばすて)』の一節です。

哲学者の井筒俊彦さんが、もしこの言葉を読んでいたら、きっと何かの文章を残したのではないでしょうか。私の解釈はその系統を引いているつもりです。

『姨捨』の作者については、大方世阿弥であろうと、能に関わる誰もが思っているのではないでしょうか。私も、此処に示される様な言語観は世阿弥のものだと思うのですが、これだけの名曲に世阿弥作と断定し得る材料がないとすれば、七郎元能作の可能性もあり得ると思います。


先づ「何事も夢の世」と言うのは、佛教的な世界観からすれば何も特別なものではないでしょう。

次の「の」は何でしょうか。「・・夢の世で、(だから)・・」だと思うのですが・・。

「なかなか」は後の「じ」と呼応して「かんたんには・・するまい」でしょう。


さて「言はじ思はじ」です。実際に口に出すだけでなく、思う事もするまいと言うのです。つまり言葉で的確に言い表す事は難しいので、軽々に仮のものを当てるのは辞めておこう、と言う事でしょう。では何を。それはその前の『姨捨』の詞章を知らなければ分かりません。一応「それについては」としておきました。


その後の部分は完全に私の解釈となります。草、花、月とたたみかける様に並べていますが、それぞれ扱いが違います。

草は「思ひ草」。草の一部が思い草なのではなく、草と言うものが思いそのものを象徴していると言うのです。思いは即ち言葉、この場合は言葉として形になろうとする当にその時の動きそのものでしょう。

花は「愛で」るものです。草の中に花は咲いています。無限に言葉として生い出でようとする動きの中から、見事に結晶化して美しい言葉となった花。

その花を美しいと愛でるのは人であり、人の中にある佛性です。月とは即ち佛性です。ですから花を美しいと愛でるには、月に染みてある事が必要なのです。

月に染みて花を愛でる事は、難行でも、苦行でもありません。それは「遊び」なのです。此処で世阿弥は自分の生み出した芸能を遊楽と言っている事を忘れてはいけないでしょう。


さりげなく並んだ草と花と月ですが、其処に尋常ならざる広がりがあります。