2020年5月16日土曜日

通信稽古のススメ

通信稽古のススメ


五月の声を聞いたと思ったら早や後半になってしまいました。コロナウィルス感染予防のための自宅待機も、まだまだ終わりそうにありません。表面に表れる数字に信用がおけない以上、私たちは何でそれを判断すれば良いのでしょうか。命令ではなく要請でしかないことも、閉塞感をより強くしています。

これで経済が動き始めても、ソーシャルディスタンスを確保しての能楽公演は補償がなければ成立しません。 私たちにとってはまだまだ先が見えません。

報道などでもご存知かと思いますが、狂言師の善竹富太郎さんがこのウィルスの犠牲になってしまいました。学校巡回公演では子供たちの心を一挙に掴む独特のトークで、人気を独占する異才の人でした。先日荼毘に伏されたとの連絡が入りましたが、このウィルスの残酷なところは、親族でさえ立ち会うことが出来ないということで、残されたご親族の方々の悲しみを思うと、本当にやりきれない気持です。


富太郎さんのご冥福をお祈りし、ご遺族へ哀悼の意を捧げたいと思います。

そのような中、私の所属する九皐会では、先日、今後の催しについての話し合いが持たれ、七月例会より観客を半分に絞り、二番立ての番組を一部二部に分けた形で、再開させるということになりました。

今後どのような展開になるかわかりませんが、能を当代で途絶えさせることのないよう、
力を尽して行かなければなりません。

能の世界も、明治維新以来の大きな転換を迫られていますが、単に流れに迎合するのではなく、これまで伝承され続けてきた本質的な部分を崩さないようにしなければなりません。


何が本質的で何がそうではないのか。それぞれ問い合わせながら、やれることをやって行きたいと思います。

さて、私はここ数年二松学舎大学で能の実技を指導する場を得ているのですが、本学でも今年度の開講は通信による授業を余技さくされています。まだ一般学生への授業は始まったばかりですが、ゼミナールの学生に対しては、先月からプレゼミと称して通信による稽古を始めていました。 もちろん実際に対面しての稽古に比べれば制約も多く、なかなか思い通りに行きませんが、それでもそれなりに伝えられることもあるように感じています。

そしてこれは学生に限らずとも可能なのです。転居により稽古に通えなくなってしまった謡曲愛好者の方々を始め、海外に出て始めて能に興味を持ったという方もいらっしゃると思います。現在、月一回の稽古場の方が通信で複数回のお稽古を始められています。

能は、室町時代に始まり、江戸時代に武家の式楽として大成されました。しかしその根っこには古代からの芸能の息遣いが閉じ籠められています。式楽たる能がその母体である武家階級がなくなってなお、何世代も伝承されて来たのは、そこに人間としての普遍性を獲得したからです。


コロナ以後の世界は、ウィルスを含めた自然との共生が、より求められる世界になりそうです。その時こそ能が本当に必要とされると信じています。

この自宅待機の中、新しい時代を見据えて、伝統の中に浸ってみるのは如何でしょう。

2020年5月14日木曜日

ひとり能楽らいぶ#01 雨ニモ負ケズの曲舞

この「雨ニモ負ケズの曲舞」は、平成15年頃に作ったものです。
世阿弥の頃、その素材となっている作品は人々に周知されていたものでした。その言葉が曲舞で謡われ、舞われることによって、立体的な生命力が生み出されることに観客の多くが興奮したのだと思います。それを今やるとすれば何だろうと探して「雨ニモ負ケズ」を選び、そこから宮澤賢治の作品を読み込んで創作したものです。

まだまだ続くstay home の日々。「能楽らいぶ」の YouTube 配信をしてみようと思いました。その第一弾はやはりこの作品です。

https://youtu.be/48x58Ma30GE

2020年4月18日土曜日

かつてない誕生日に

前略 病禍猖獗甚しき折から深くお見舞い申し上げます

皆様より誕生祝いの言葉を頂戴致しました。有難うございました。お蔭様で本日62歳になりました。

先月来の伝染予防体制により、演能その他の催しは軒並み延期・中止となり、お弟子様へのお稽古も休止状態で、かろうじて Zoom による通信稽古をしてはいますが、掃除と稽古と創作で毎日を送っています。

この様な情勢の中で、能には何が出来るのか、何をすべきなのかを自らに問わねばならないとは思うのですが、今の、家に籠もって稽古に励んで、来るべき舞台に備える日々と言うのは、経済的な問題さえなければ、私にとってはある意味居心地が良いのです。しかし、その経済的な問題は既に喫緊の課題になりつつあり、そういう居心地の良さに浸っている場合ではないのが直視しなければならない現実なのでしょう。

現在、通信稽古をしてはいますが、やはり対面でなければ伝わらない事が、能にはとても多く、そしてそれこそが能の存在価値だと思います。能の価値は生でなければ伝わらないのです。これは他の芸能も同様ではありますが、生の現場と記録との落差の大きさが、能では致命的なものになります。

コロナ以後の世界で能はどの様にあらねばならないのか、どの様な方向ならば生き残れるのか、これからそういう意識を持って考えていかなければならないでしょう。

いっときを凌ぐ方策としては、

1) 舞台の記録としてストックされている演能の映像を、YouTube などで公開したり、その画像を見ながらのお話会

2) 私が以前やっていた「能楽らいぶ」を固定カメラで配信する

3) 通信での謡・仕舞講座を開講する

・・・

などがありますが、どれも本質的ではない様に思われます。

能が他の芸能と大きく異なる要素として、例えば俗界から隔たって修行をする禅僧や修道院の様な部分があります。舞を舞うことによって、舞台を勤めることによって、国家の平安、霊魂の安息、健全な精神などを実現するというものです。勿論これを核として、人々の楽しみ歓びを盛り込んで舞台化したことにより、広く親しまれるものになったのですが、武家の式楽として完成された背景にはこの核の部分があったことを忘れてはならないと思います。

そして「武家の式楽」が、武士がなくなってなお4、5世代を経て継承されていることは、武士の持っていた価値観が人間存在の普遍的な部分に親和性を持っていた証左だと思います。

今、明治以降走り続けてきた近代というレールが行き止まりになっている事が周知されて来ています。江戸時代に戻れと言うのではありません。しかし、江戸時代に実現されていた循環型社会、それの精神的支柱であった能の存在、それをこれからも見つめて行きたいのです。

何か、まとまらない上に、結局今まで思っていた事をまた書いているような事になりましたが、この奇貨とも言える非常時に迎えた誕生日に思うことを書いてみました。

最後に。これは、全く私の個人的な思いであって、能楽界で能の伝承のために様々な角度から取り組んでいる方々を批判するものではありません。私の不得手な社会的な活動をして下さる方々を、私は尊敬しています。有難うございます。

もう一つだけ。能を次の世代へつなげるための私なりの一つの試みとして、能が生み出される現場を、小説に書きたいと思っています。発起してより2年、ようやく少しずつ形になって来ました。現在 note  に随時発表しています。是非読んでみてください。まだほんとに始まったばかりですが、ご意見ご感想を頂戴出来れば嬉しく存じます。

2020年3月11日水曜日

延期になりました・・・能楽らいぶ「光の素足」× ライブペインティング

 真に申し訳ございません。この催しは残念ながら延期になりました。

こんな時期にもかかわらず、30名を越える皆さまにご予約を頂いていましたが、コロナウィルス蔓延阻止の妨げになる可能性を鑑みて、延期することになりました。
新しい日取りが決まりましたら、改めてご連絡します。その時には何卒宜しくお願い申し上げます。



世情色々騒がしく落ち着かない毎日が続きますが、そんな中、小さな実験をします。
画家の中津川浩章さんのライブペインティングとのコラボレーションです。



能楽らいぶは、六百年の伝承を可能にした能の秘密を探るために繰返してきた、中所による小規模公演です。能は謡も舞も型の力を最大限に用いて、全てを表現しようとします。

中津川氏の絵は、単色の絵の具による線描のみで無限の表現を生み出そうとしています。また、中津川氏のもとで生み出される、障碍のある方々の作品は、言葉や理性あるいは自我の下にうねり巻く表現の原点を感じさせてくれます。中津川さんは「彼等には何も教えていません。彼等の持っているものを引き出す手伝い(ファシリテート)をしているのです。」と語ります。

様々な約束事によって組み上げられ、そのような無意識領域からは遠いもののように思われている能ですが、その土台は人間存在の本源に深く根付いていると思います。

能「光の素足」は宮澤賢治の作品から言葉を頂戴して、その世界観を能で表現したものです。二人の創作を賢治さんがファシリテートする場をお楽しみ下さい。


4月18日(土)午後3時開演(開場 午後2時)
入場料 3,500円
会場はチラシをご参照下さい。

会場となるゲストハウスは地下ながら、2階分の高さの天井と充分な広さがあり、全面のガラス窓いっぱいに滝が流れ落ちる素敵な空間です。感染について出来るだけの配慮を致します。

2020年2月11日火曜日

令和2年2月15日(土)緑泉会「西行櫻」


2月15日(土)の緑泉会で「西行櫻」を致します。

この曲のシテは京都北山西行庵の片隅に、ささやかに花を咲かせる老木の桜の精です。幹は大きなウロとなり、皮ばかりから伸びた枝にわずかに花を咲かせる、その老桜ノ精が西行法師の詠歌に不審を向けて夢枕に立ちます。

       花見んと群れつつ人の来るのみぞ
                        あたら桜のとがにはありける

との西行の歌に、「浮世と見るも山と見るも、ただその人の心にあり。非情無心の草木の、花に浮世のとがはあらじ」と言葉を向ける桜の精。世事に煩わされることなく道を究めたいと思う気持ちに、それは心の構え方の問題だと答える有様は、作者世阿弥の葛藤をそのまま映しているようです。

 花の仏性を目の当たりにして、西行が「草木国土悉皆成仏」と誦えると、その功徳を喜んだ老桜ノ精は夜明けまで舞を舞い続けます。歌に詠まれた花の名所を謡込んだ舞は、やがて春の夜のたゆたいのような笛の舞となり、最後「花を踏んでは同じく惜しむ少年の春」と白楽天の詩を謡込んで夜明けとなります。

 私にはこの曲の中、俗世を嫌うのを戒めながら、西行の夢の場を借りて、少年と老人が対峙しているように見えます。それは少年世阿弥と歌の師である二条良基かも知れませんし、年老いた世阿弥と若い芸能者たちかも知れません。

 是非、春の朧の雰囲気を楽しみに能楽堂へお出かけ下さい。


以下は、チラシに載せた「西行櫻」の解説です。
舞台にで飾られた山の作り物に続き、西行法師(ワキ)が登場するとそこは都西山の西行の庵室となる。下京に住み、春になると山野に花を尋ね廻る者たち(ワキツレ)が登場し、その庵の花を見ようと連れ立ってやって来る。わざわざやって来た労に報いて招き入れる西行だったが、人々の賑いに俗世の煩わしさを思い出し、思わず一首の歌を読む。「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたらの咎にはありける」
 やがて夜となり人々と共に眠りにつく西行だったが、気がつくと一人となり、の老木の空洞から白髪老人(シテ)が現れて、先ほどの自分の歌を詠じている。不審する西行に老人はの精だと明かして、「憂き世と見るも山と見るも、ただその人の心にあり」と理を説いて戒める。西行が「草木国土悉皆成仏」の経文に思い至り読経合掌すると、老の精はこれを喜び、花を歌う詩歌を連ねる。都のの有様を歌い始めると興に乗って舞を舞う。時は移り夜も終りに近づけば、西行との名残りを惜しみ、その心をゆったりとした笛の舞(序之舞)に舞う。とうとう夜が明け始めた。いよいよ別れの時かと思いつつ、まだまだと思っているうちに夜は明ける。
 終曲の一節に、白楽天が「花を踏んでは同じく惜しむ少年の春」と詠んだ春の夜は明けて「翁さびて跡もなし」(老人は消えてしまった)と謡われる。少年世阿弥が歌を学んだ二条良基の姿をこの老の精に重ねるのはうがち過ぎだろうか。




2019年5月21日火曜日

舞台のご案内「朝長」


九皐会若竹能で「朝長(ともなが)」を致します。

この曲は世阿弥作の修羅能の中でも特に重い扱いの曲です。難曲と言って良いこの曲に、ようやくとりかかる機が熟したのを感じています。

夏の盛りに早春の曲となりますが、是非とも能楽堂にお運びいただき、能ならではの情趣をお楽しみ下さい。






「朝長」について 


源朝長は義朝の二男、頼朝、義経の兄になります。平治の乱で深手を負い、父義朝と共に東国に落ちようとする途次、美濃国青墓(おおはか)宿で自害して果てる弱冠十六歳の少年武者です。

後シテは修羅物の常の通りその朝長の幽霊なのですが、この曲は前シテに青墓宿の長者の女性を配しています。朝長の自害を目の当たりにした人です。さらにはワキにはもと朝長の傅(めのと)だった僧を配しています。

この曲の前段では、朝長の四十九日に当たる日に、その墓前に二人が会し、しめやかに故人をしのびます。青墓の長者の語る最期の有様は痛ましく、臨場感に溢れています。長者は僧を宿に伴い、朝長の厚い供養を頼みます。

後段では、僧たちにより観音懺法(かんのんせんぼう)が手厚く行なわれる中、朝長の幽霊が現れて最期の有様を再現します。

観音懺法は大変重い行法のようです。他の曲には出てきせん。

詞章に「とりわき亡者の尊っとみ給ひし観音懺法」と謡われますが、世阿弥の頃にとりわけて観音懺法を尊んでいたのは、他ならぬ足利将軍家です。応永三十二年、世阿弥六十二歳の時、十九歳の五代将軍足利義量が急死します。能の作品が何時作られたのかを特定することは難しいのですが、これは何もなすことも出来ずに世を去った、五代将軍の死後、

あまり時を置かずに作られたのではないかと思われます。

2019年2月28日木曜日

4月14日九皐会例会『忠度』






舞台のご案内を申し上げます

九皐会の四月定例会で「忠度(ただのり)」を致します。

これは世阿弥作の修羅能の中でも傑出した作品です。平忠度は清盛の末弟ですが、都の兄弟たちから離れて熊野で育ち、和歌を藤原俊成に学んだ異色の存在です。前段で年老いた海士人となり、歌枕の地としての須磨の風光を愛で、後段では忠度の往時の姿で、一の谷で討たれた有様を顕すのですが、ワキにかつて俊成の身内にいて歌を修めた僧を配し、文武二道と言いながら、歌道に偏る忠度の執心をどっしりと受け止め描いています。

        行き暮れて木の下蔭を宿とせば
                                花や今宵の主ならまし

忠度が一の谷の合戦に臨んで、箙(えびら)に忍ばせた一首は、戦いに明け暮れて落魄の身となっても、そこに身を寄せるべき花の存在を歌っています。忠度と同様、世阿弥を取り巻く武士たちの中にも、そのような人が多くいました。世阿弥は舞台上に表される一期一会の美しさを花に例えていますが、この曲はその芸能論を見事に集約した作品となっています。

若い演者が真直ぐに演じて華やかな良い舞台となることの多い曲です。しかし前シテが老人であることから、例えば世阿弥の後援者と考えられる今川了俊が、引退後に和歌や禅に打ち込んだことなどを思わせて、還暦を過ぎた私の歳で取り組んでも、余りそうな奥行きがあるのではと思います。

春の盛りの頃、是非ご来場賜わりますよう、ご案内申し上げます。

中所 宜夫