多くの方々から誕生日のお祝いの言葉を頂戴しました。本当に有難うございます。新たな一年に向かって、また進んで行きたいと思います。
昨年までならば以上で終わりにしていました。凡そ私は記念日と言うものが余り好きではないのです。時間は毎日同じ様に流れ、毎日淡々とやるべき事をやって行く事が大切なのだと考えていました。能楽師の暮らしと言うのは、勿論習慣性はありますが、その規則性は割と複雑で、毎日やるべき事は変わって行きます。ですから敢えて意識せずともそれなりに節目が出来て、飽きる事ない毎日を送る事が出来ます。
然しこう言う態度が有効なのは、僅かに平和な日々が約束されている場合に限られています。大体「淡々と」と言うのが「粛々と」みたいでゾッとします。時間の流れだって同じではありません。別に相対性理論を持ち出す迄もなく、意識の前で時間の流れが流動的な事は明らかです。
小学六年生か中学二年生の時、(その事を言葉にして考えて歩いた道は、中学一年の時には通らない道でした)私は決定論的世界観を持っていました。この世界の出来事は全て法則によって定まっていると。時間は均一に流れ、人間の意識は二次的なもので、精密なプログラムの集積によってやがて機械にも意識が生まれるのだと。
しかし時は流れ、大学を二年浪人するうちに次第に考えも変わり、その私が書いた大学の卒論は『ポパーの非決定論』でした。既に観世喜之先生の内弟子となっていた私は、能の感動とは何か、感動が伝わるとはどう言う事か、に興味がありました。卒論はそれを明かすものでも何でもありませんが、少なくとも決定論的世界観から能の感動は伝わらないのではないかと、漠然と感じていました。二十世紀最大の哲学者の一人であり、第一回の京都賞を受賞しているにも関わらず、カール・ライムント・ポパーは日本では殆ど知られていません。ドイツに生まれ合衆国に移住した科学哲学者です。ポパーは、十九世紀の科学万能思想から導かれる決定論的世界観の論理的矛盾を証明し、その証拠として当時の最新物理学である量子論を紹介していました。
私は思想家ではありませんので、自分の考えを新しい着想に基づいて検討し直したりはしません。ですから人の教えを受けてその斬新さに驚いた時も、そんな事は前から分かっていたはずじゃないか、となります。
神の化身と自ら名乗ったサイババが話題になった事がありました。創造神を信じつつも神の化身なんてあり得ないと思っていた私でしたが、何故か本で読んだだけでしかないのに、全知全能の神が自らをこの時空間に展開する事は当然あり得る、と思いその存在を認めていました。今は、神の化身が本当だったとしても、神そのものではあり得ず、時空間に展開された非常に限定された存在だったと思っています。
しかしサイババへの傾倒は、オウム真理教を正しく嫌悪する一助となり(最大の要因は能にあることは勿論ですが)、またヒンズー教の精神風土への親しみを残して、バリ島との交流を用意してくれた様です。
バリ島にはニュピと言う日があります。バリ暦の大晦日に人々はオゴオゴと呼ばれるハリボテに一年の悪霊を移し、それを焚き上げて元の世界に返します。翌日をニュピと言い、悪霊から身を守る為、人々は外出を控え大声で話すことも控え、静かに一日を過ごします。その翌日が正月です。
平成二十三年のニュピの日の前に、私はバリ島へ行きその神秘の一夜を過ごしました。とは言え取り立てた神秘体験をした訳ではないのですが。年明けに絵描きのデワスギ氏の絵巻物語りを、バリ仮面舞踊の人間国宝ジマットさんと共演し、善悪同根のバリ思想を体感しました。
そして三月十日に日本に戻りました。翌日は九皐会の申合せで、矢来能楽堂の楽屋にいるところを大震災が襲いました。
そしてフクイチの事故が起こります。
少し前にツィッターを始め、事故後に色々な書き込みを俯瞰する中で、何人か注目する投稿をしている人がいました。その一人の村松恒平さんが数日前にブログにこんな事を書いていらっしゃいます(「原発事故で経済が終わること」)。やはり早晩日本社会は崩壊する、少なくとも経済的には。村松さんの他にも何人もその警鐘を鳴らしている人はいます。
私は原発事故当初から崩壊への一直線の道のりを考えていました。それこそ日本人が祖国を失った放浪の民になってしまう事もあり得ると思いました。
ところがここ数年の平穏な日々に少し幻惑されていた様です。タイタニックと違って日本が沈むにはやはり何年もかかります。ゆっくりとした崩壊に、あたかもこの平穏が長く続くかの様な幻想を与えられていました。
しかし村松さんの仰る様に、戦争はどうやら既に始まっているらしい。それは私たちが戦争と言って思い浮かべる様なものではありませんが、私たちの平穏を理不尽に奪い取ろうとしています。秘密保護法だとか憲法改正とかまでもが実は目くらましでしかなく、私たちの生命と尊厳を踏み躙ろうとする邪悪の手は、もう既に搦手にかけられている様です。
さて問題はその後です。沈む船から海に落ちた後、未だ生きていたら何をするのか。石牟礼道子さんは、いずれ滅びる人間の、唯一生きた証しとして価値があるかも知れないのは美です、と言う趣旨の事を発言されています。
私は幸いにして能をしています。
能は単なる伝統芸能や音楽劇ではありません。凡そ世界中を見渡しても能の様なものは見当たりません。
その事をこれからの残された少しの平穏の間に、少しでも伝えて行きたいと思います。
誕生日のお祝いの言葉へのお返しとして、例年になく感慨深い気持ちを書こうと思いましたが、思いの外長くなり、日も変わってしまいました。
お陰様で無事五十七歳になりました。有難うございます。