『卒都婆小町』は、世阿弥の父の観阿弥の作品として伝えられていますが、シテの登場の場面などは、多くの世阿弥の作品の持つ味わいに近く、「世子六十以後申楽談儀」にも、もっと長かったものを世阿弥が切り詰めたと書かれていますので、かなり世阿弥改作の手が施されていると思われます。その結果、観阿弥の劇的興趣と世阿弥の世界観の深さが、絶妙に交じり合う傑作として、今私達の前に伝えられています。
以下は、当日のパンフレット用に書き始めたのですが、パンフレットには字数制限がありますので、それをもう少し詳しく書きました。かなり長いですが、おつきあいいただければ嬉しく存じます。
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「卒都婆小町」鑑賞の手引き
あらすじと言うには詳し過ぎ、
現代語訳と言う程詳しくなく、
勝手な解釈も交えた演能メモ
高野山の二人の僧(ワキとワキツレ)が都へ上ろうとしています。「山は浅きに隠れ家の。深きや心なるらん。」(世俗を離れて隠れ棲むについては、山に籠って修行をしても山の深さは問題ではなく、心の深さが問題です。)と、仏縁を喜び悟りを目指して修行に励む徳の高い僧のようです。この僧が世俗の中心たる都へ上るのですから、何か相当のことがあるのかも知れません。そのあたりは各自で想像してみましょう。
それにしても「生まれぬ先の身を知れば」以下、(縁あって人間としての生を得た今だけれど、その生を得る以前の事を感得してみれば、全てが一つであり、親だとか子だとかの区別も溶解してしまう。)と述懐する僧の徳の高さは相当なものだと思えます。
一方、一人の年老いた乞食女が、何のためかわかりませんが、こちらも都を目指して歩みを進めています。この登場は老女物独特の約束事と位取りがあり、重厚な雰囲気に包まれます。杖なしでは十分な歩行もままならない窶れ果てた老婆ですが、その実かつては宮廷の耳目を恣にした小野小町です。そういう演劇的な難題を、能では型の伝承として解決している、言葉を変えれば、能の修行を怠らずに続けて行けば、その難題をある程度越えて行くことが出来るわけです。
さて登場して来て「身は浮草を誘う水。なきこそ悲しかりけれ。」(昔、文屋康秀と言う人が三河へ下る時に、私はもう既に年寄りになっていたのをからかって、「三河へ一緒に下ってください。」と言うので、「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘う水あらばいなむとぞ思う」と歌を返して、こちらも鼻であしらったことがあったけれど、今ではそんな風に私を誘う水さえもない。悲しい悲しい。)と嘆いています。
昔は美しいともてはやされて華やかな一時を過したけれど、今は自分を恥じながら都の周辺を行き来しています。
「月もろともに出でて行く」以下、
(月が東から西へ行くのと一緒に、私も東から西へ都を目指して行きます。雲の彼方の内裏の人々も、その大内を山守のように守っている取り巻きの公卿たちも、この哀れな身を見咎めたりはしないでしょう。まして木の陰に隠れてしまえば月明りも届きません。おお。あの辺りに鳥羽の恋塚があるはず。あそこには無体な男の誘いを撥ね除けきれずに自分を殺させた、袈裟御前の霊が眠っている。その北には鳥羽離宮の秋の山が見える。さらにその北を見れば桂川の流れに舟が浮かんでいる。懸命に舟を漕がせて過ぎて行くけれど、乗っているのは誰なのかしら。)
と一つ一つの情景に心動かせながら歩んで行きます。
さてこの乞食の老女、疲れて朽木に腰をかけて休むのですが、その朽木は卒塔婆でした。
東からやってきた老女と南から来た僧が出会います。
実はこの出会いの場所が不明なのです。世阿弥の改作で省略された部分があると思いますが、それはこの曲の鑑賞とは直接関係ないので、別の機会に譲ることとします。小町の時代にはなかったはずの、鳥羽離宮の秋の山が出てくることも気になります。
僧は乞食が卒塔婆に腰掛けて休んでいるので、説教して退けようとします。
少し長いけれどこの曲の大切な部分です。詳しく辿ってみましょう。
僧「これこれ。あなたが腰をかけているのは、勿体なくも卒塔婆ですよ。他の所で休みなさい。」
老女「そんな有り難そうに仰いますが、ただの朽木にしか見えません。」
僧「山奥の朽木でも花が咲けばそれと分る。まして仏の形に刻んでいるのだから、ただの朽木のわけはないよ。」
老女「花と言うなら私だって、山奥の朽木みたいになってしまっているけれど、まだ心に花はあるのです。だから私が腰をかけていると言うことは、花を手向けているのと同じです。
ところで卒塔婆が仏の形だと言うのはどういうわけですか。」
従僧「金剛薩埵が大日如来のために姿を変えて、三摩耶形(さまやぎょう)を行っているのが卒塔婆なのだ。」
老女「その行いによって作った形はどんなものですか。」
僧「地水火風空ですよ。」
老女「それはこの世界を構成する五大ですね。それを輪塔にして五輪と言うのは知っています。でも五輪って人の頭と両手両足のことですもの。私と卒塔婆と区別があるなんて変ですね。」
従僧「五輪という形は同じかも知れないが、そこに宿る心と、それによってもたらされる功徳が違うのだよ。」
老女「それでは卒塔婆の功徳って何ですか。」
僧「一見卒塔婆(卒塔婆を一見すれば)永離三悪道(永く三悪道を離れる)と言います。」
老女「よく言われますね。でも一念発起菩提心(一念発起して菩提心を育む)とも良く言われていて、これもとても大切です。それならば私だって負けていませんよ。」
従僧「菩提心があると言うなら、 どうして出家しないのでしょう。」
老女「姿形で出家するのではありません。心の中で俗世を厭っているのです。」
僧「心の中で厭っていると言うけれど、そのような心がないから卒塔婆が仏体だと知らなかったのではありませんか。」
老女「おや、いつ私が知らないと言いましたか。仏体と知っていればこそ卒塔婆に近づいたのですよ。」
従僧「ではどうして敬いもしないで尻に敷いているのでしょうか。」
老女「卒塔婆だってこうやって寝ているのですから、どうして私が休んでいけないことがあるでしょう。」
僧「それは仏の教えに素直に従う態度ではないですね。」
老女「でも教えに背いてもそれは逆縁となって成仏の種となるのでしょう。」
ああ言えばこう言う問答で、少し屁理屈っぽいけれど、最初侮ったこともあり、二人の僧はとうとう老女に同調してしまいます。以下三人が交互に言葉を継いで行きます。
(仏陀を苦しめた提婆達多の悪も、試練を与えた観音菩薩の慈悲に他ならず、仏弟子の槃特の愚かさも、熱心な学びの心を引き出す文殊菩薩の知恵なのです。悪は善であり、煩悩は菩提です。菩提と言っても植木のようにそこに形としてあるものではありません。同じように、全てを映す鏡と言っても台に据えられてあるものではありません。真に本来世界は無であり、一つ一つの物が別々にあるのではありません。ですから仏も衆生も同じ一つのものなのです。)
いやいや老女に合わせて語り始めたら大変なことになって来ました。事は仏の教えの深淵に及んでいます。ただの乞食と侮っていたのを恥じる心もあるのかも知れません、高野山で修行を積んだ徳の高い僧二人が、乞食の老女を思わず三拝するのです。
力を得た老女は
「極楽の内ならばこそ悪しからめ外は何かは苦しかるべき(ここが極楽だったら悪いかも知れないけれど、外だから何も差し障りはないはず)」
と戯れ歌を読んで、やっと立ち上がります。
帰ろうとする老女に素性を尋ねると、小野小町のなれの果てであると聞かされ、僧は聞き及ぶ小町の美しさを並べたてるのですが、目の前の小町は衰え果てた姿です。地謡によって謡われる有様は真に痛ましく、小町は思わず恥じて顔を隠します。
いったいどうやって日を送っているのか尋ねる僧に、
「背中の袋に粟豆(ぞくとう)の乾飯(かれいい)を入れている他、着替えやくわいなどを持ち歩き、破れ蓑と破れ笠で身を覆うのですが、顔さえ隠しきらない有様なので、霜雪や雨露の時などは、とてもつらい思いで徘徊しています。往来の人に物乞いをするのですが、何もくれなかったりすると悪心が湧きおこり、物狂おしい気持になって・・・。のうお恵み下さい、お坊さま。」
と身の上を物語るうちに物憑きの様を見せます。
「小町という人は、罪深いほど美しい上に、度重なる文にも一度の返事もない奢りゆえ、今百歳の老残を晒すはめとなりました。それにしても何とも人恋しいことです。」
憑依したのは深草の少将でした。
毎夜毎夜小町の元へ通う少将。夕暮れともなれば諫める人がいても、とても止めることは出来ません。
いつしか(舞台奥の後見座で装束を変え烏帽子を冠ります)老女の姿に少将の出で立ちが重なり、その百夜通いを僧の面前に再現します。
白い袴の裾を取り、立烏帽子だと身分が分るので風折れに折って、狩衣の袖を被って人目を忍び、月夜でも闇夜でも雨の夜も風の夜も通って行く。落葉が時雨のように降っても、雪の深い日も・・・。見れば軒から雨垂れがとくとくと落ちている。それが「疾く疾く(早く早く)」と急かしているよう。行っても会えずに帰り、帰ればまた行く。ひと夜ふた夜と数えてみれば今日が九十九夜目。やれ嬉しやと思うなり眩暈に襲われ、そのまま亡くなってしまった。
その深草の少将の怨念がこの小町に憑いているのです。
すっかり語り終えた少将は小町から離れます。
小町は、後世の平安を願って日々を送るように諭され、教えられた通り、毎日小さな善行を積み重ねて徳を磨き、花を仏に手向けつつ余生を送ります。小町はやがて悟りの道へ至り、感謝の心を合掌の姿に表して、一曲の終りとなります。
舞台からシテの老女が退場します。これは既に僧と問答をしていた小町ではありません。その後善行を積み重ねて菩提の道を辿って行く小町かも知れません。或いは、もう死んでしまって浄土へ昇って行く魂かも知れません。見所の皆様がそれぞれに何かを感じていただければと思います。
シテとは離れてワキとワキツレが退場します。現実には小町と出会った日から何日も過ぎてしまっているのかも知れません。世俗の坩堝である都へ上ろうとしていた二人の僧は、小町と別れた後、どのように修行を続けて行くのでしょうか。
一曲の始めから能の場を立ち上げてきた囃子方が退場します。笛、小鼓、大鼓の順に登場と同じ順番で退場して行きます。合わせて地謡も退場し、舞台は空となります。
何もなくなった能舞台に何かを感じていただければ、演者としてはとても嬉しく思います。