六十五歳の誕生日に三回目の「道成寺」を致します
還暦の年に「卒都婆小町」を舞ってから、早や五年が過ぎてしまいました。コロナによる停滞もありましたが、そろそろその間の稽古の成果を試してみたいと思い、自身の会を企画しました。
「今さら何故道成寺」というお声も頂戴していますが、この曲は、登竜門としての指標だけではなく、もっと深い能の真髄を湛えた一曲だとの思いから、この曲を選びました。
道成寺というと、歌舞伎などの影響からか、「女の情念」という言葉が強くついてまわります。しかし能の道成寺は少し色合いが異ります。
前シテの白拍子は、「作りし罪も消えぬべし。鐘の供養に参らん。」と最初に謡います。
この白拍子は、過去に犯した罪を浄化するために、鐘の供養に参るのです。能はその浄化作用を舞台上に再現し、場を共有する皆様とその力を分かち合うために、他の曲とは異なる大掛かりな仕掛けを舞台上に用意したのだと思います。
暮れに道成寺にお参りしました。ご住職から「お舞台は観音様の救いの力を皆様に分かち与える」と伺い、はからずも私の考えを確かめることとなりました。
どうぞ皆様、鐘の供養にお出掛け下さい。
「道成寺」について
安珍清姫と名付けて女性の恋慕を執念く描いた物語があります。多くの人が能の道成寺も同じものとして見ているのではないでしょうか。今回私が読み解く「道成寺」は少し違っています。
安珍とされるのは奥州から毎年熊野に詣でる山伏。清姫とされるのは紀州田辺あたりの素封家真子荘司(まなごのしょうじ)の娘。名付けられていないこともさりながら、能で取り上げられているのは、この二人の物語ではなく、それから何百年も経った後の出来事です。
道成寺に絶えて久しくなかった釣鐘を再興し、その鐘を鐘楼しゅに吊り上げて供養を取り行った日のこと、同国に住む白拍子が女人禁制を犯してその供養に紛れ込みます。
安珍とされるのは奥州から毎年熊野に詣でる山伏。清姫とされるのは紀州田辺あたりの素封家真子荘司(まなごのしょうじ)の娘。名付けられていないこともさりながら、能で取り上げられているのは、この二人の物語ではなく、それから何百年も経った後の出来事です。
道成寺に絶えて久しくなかった釣鐘を再興し、その鐘を鐘楼しゅに吊り上げて供養を取り行った日のこと、同国に住む白拍子が女人禁制を犯してその供養に紛れ込みます。
白拍子というのは平安末期頃に隆盛を見た芸能者で、平家物語では祇王、祇女、仏御前、静御前などが語られています。当時、芸能は単に見て聞いて楽しむというものではなく、謡い舞うことによって神仏に祈願する、超自然的な力を発動させるという実効を伴うものでした。ですから女人禁制を固く言い付けられた能力も、白拍子ならば一般の女人とは違うので、境内への侵入を許すばかりか、乱拍子の所望までしてしまいます。
平安中期から続く舞の系譜からすれば、乱拍子は通常の拍子を刻む白拍子に対して、新しい工夫を加えた複雑な拍子を踏むのが特徴の芸能だったようです。
住職たちが法要を終えて奥へ引込むと、それまでは神妙にしていた白拍子でしたが、見知りの役人から烏帽子を奪うようにして借り受け、人々に手拍子を囃させながら舞い始めます。それは本来複雑な拍子を刻んで、熱狂を巻き起すような種類のものだったはずです。
しかし、能の乱拍子はそれを静寂の中に表現します。しばしば「小鼓とシテの一騎打ち」と表現されるこの手法は、いったいいつ頃成立したのでしょう。曲そのものの創作時期も不明である上、本来の乱拍子と全く違うものにその名をつけていることと合わせて、私は武家式楽としての能でこその演出であるように思われてなりません。
喧騒のただ中で踊り狂う芸能者の内面を、別の時空に取り出して描く《乱拍子》、そこから一転して現実の喧騒の中の白拍子となる《急之舞》、この流れは、かつて蛇に変じた女の執心が白拍子に取り憑いて、ついには全てを支配してしまう過程とも取れます。
最後に鐘から現れた蛇體はついに法力に祈り伏せられ、日高川に姿を消します。
この蛇體に使用する能面には、江戸初期のものと思われる名品を拝借することが出来ました。合わせてお楽しみいただければ幸いです。
平安中期から続く舞の系譜からすれば、乱拍子は通常の拍子を刻む白拍子に対して、新しい工夫を加えた複雑な拍子を踏むのが特徴の芸能だったようです。
住職たちが法要を終えて奥へ引込むと、それまでは神妙にしていた白拍子でしたが、見知りの役人から烏帽子を奪うようにして借り受け、人々に手拍子を囃させながら舞い始めます。それは本来複雑な拍子を刻んで、熱狂を巻き起すような種類のものだったはずです。
しかし、能の乱拍子はそれを静寂の中に表現します。しばしば「小鼓とシテの一騎打ち」と表現されるこの手法は、いったいいつ頃成立したのでしょう。曲そのものの創作時期も不明である上、本来の乱拍子と全く違うものにその名をつけていることと合わせて、私は武家式楽としての能でこその演出であるように思われてなりません。
喧騒のただ中で踊り狂う芸能者の内面を、別の時空に取り出して描く《乱拍子》、そこから一転して現実の喧騒の中の白拍子となる《急之舞》、この流れは、かつて蛇に変じた女の執心が白拍子に取り憑いて、ついには全てを支配してしまう過程とも取れます。
最後に鐘から現れた蛇體はついに法力に祈り伏せられ、日高川に姿を消します。
この蛇體に使用する能面には、江戸初期のものと思われる名品を拝借することが出来ました。合わせてお楽しみいただければ幸いです。