2014年11月18日火曜日

『中尊』始末記

11月13日豊橋芸術劇場での第八回吉田城薪能・能楽らいぶ『中尊』は、お陰様で無事?終了しました。主催のNPO法人三河三座の皆様、共演の皆様、会場にお運び下さいました観客の皆様、そしてブログ読者などネット上で応援して下さった皆様に厚く御禮申し上げます。


 ステージに能舞台に模して化粧板を並べ、周りに笹をあしらいました。鏡板には、老い松ならぬ蓮の華。これは今年三月、イーハトーブプロジェクトin京都・法然院での能楽らいぶの時に、秩父在住のガハクが、『中尊』に共感して制作して下さった銅版画が元になっています。主催者からこれを背景にしたいと聞いて、そんな事が出来るのかと、大変楽しみにしていました。舞台設営の段階から現場に押し掛けてその威風に触れ、少々興奮しつつ、愈々午後には『中尊』の出演者が揃いました。
 最初に「無事?」と書きましたが、実はらいぶ本番に向けて、私には一抹の不安がありました。ここのところ私の喉は常に重く、声の出にくい状態が続いていましたが、数日前から深刻な状況となり、二日前には殆ど声が出ない様になってしまいました。こう言う事は大分以前には時々ありましたが、ここ数年は発声の仕方も変わり、ここ迄酷くなるのは滅多にない事でした。それが前日に名古屋市内の小学校での特別授業では、大丈夫だったのです。ですから「まぁ何とかなるだろう」と臨んだのですが、豈図らんやリハーサルをしてみると、何とも頼りない有様で、共演の観世喜正師からマイクの使用を勧められる始末。躊躇する気持ちもあったのですが、素直に従って正解でした。本番では時を追うごとに声は出なくなり、最後は息が通って行く中に微かな振動が響くばかりと言う有様でした。
 以前の私でしたら大舞台にそうなってしまった慙愧に苛まれたと思いますが、そこは多少年を重ねて図々しくなった様で、今日のこの日にこんな声になるのは、この舞台がこう言う声を要求しているのだと思い定めて、演じる事にしました。ワキを勤めて下さった安田登さんも、舞台で聞いていて、そう言う感想を持たれたとの事で、公演後に「能は演者の生身を奪い取る事で成立する」と言うような事をツイートされていました。公演後一週間が経ちましたが、未だ剥ぎ取られた生身を完全には回復していません。大小様々の舞台が次々と迫って来る中、現在はリハビリに努めています。

 さて、余り本質的ではない話を長々としてしまいました。それではらいぶは失敗だったのかと言うと、どうもそうでもないようです。本来これは見て下さった方々の評を仰ぎたいところですが、ワキの安田さんが態々良かったと言って下さいましたし、打上げの席での主催の皆様の雰囲気も悪くありませんでした。また演能中は、見所の皆様が舞台を見詰めるエネルギーを感じていました。舞台として一応成立していたのだと思います。
 前半の山場、シテの女が身の上を長々と語る場面では、未だ声の響きとして自分に返って来ていたのが、地霊が憑依する辺りになると、身体の表面的な部分では殆ど響かなくなっていました。そして〈舞〉の後では、今となっては何処で振動していたのかわからない微かな響きが、兎に角息を深く通すのだと格闘する身体の何処からかやって来て、「いよいよ地獄とや言わん、虚無とや言わん。ただ滅亡の世迫るを待つのみか。」と言う、言葉を何とか届ける事が出来たのだと思います。
 願わくはこれらの出来事が、今後の舞台に資するものとならむことを。

 能楽らいぶから能『中尊』公演に向けて、今は未だ具体的なものは何も手にしてはいませんが、兎に角また新たな一歩となった公演でした。
 長くなりましたので、内田樹さんとの対談については、また稿を改めたいと思います。



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