『葛城』についてはこのブログに以前にも書きました。今回「大和舞」で再演するに当りますますこの曲が好きになりました。「役行者に縛めを受ける神様」、「人間なのに」などと思っているとこの曲は見えてこないのではないでしょうか。
「日本霊異記」などで語られる葛城明神の説話は、作者(おそらく世阿弥)にとってはこの能を具体化するための種の一つにすぎません。大和猿楽の者たちが奈良盆地に一座を構え、日々芸の研鑽を積んでいる時、南を見ればそこにはムックリと葛城山が聳えていました。吉野へ頻繁に通う際には葛城山の麓を通り抜ける、つまり最も親しみを感じる故郷の山だったと思います。
そしてそこには既に滅んでしまった大和舞の伝承がありました。芸能を伝える者として、神代に盛んに行われていた霊力を秘めた舞こそが、作者の目的だったのでしょう。「しもと結ふ葛城山に降る雪の間なく時なく思ほゆるかな」と言う古今集の「ふるき大和舞のうた」と題された歌を頼りに、その大和舞を復活させる、いや具体的なことは何もわからないので舞そのものではなく、舞の霊力を復活させる、そんなことを世阿弥は考えていたのではないでしょうか。
三代将軍義満が微妙ながらも作り出した平安の世を、何とか維持しようとする四代将軍義持。その下で世阿弥は芸能による平安の確立を本気で指向しました。私は世阿弥が芸に向う姿勢に、例えば禅の悟り、世俗に隔絶した修道僧たちなどと同じものを感じるのです。「歌舞の菩薩」と言い、芸を極める事で菩薩となり衆生を救済しようとするのです。平安の世の危うさを古い神の力、芸能の力で維持しようとする、その為に故郷の山に眠る神を縛めから解き放つこの曲を作ったのです。
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