2018年3月13日火曜日
2018年3月4日日曜日
『雲林院』を舞います
3月11日に九皐会の例会で『雲林院』を致します。4月18日には自主公演『卒都婆小町』を控えていますが、こちらもとても大切な舞台で、本来ならもっと日程に余裕を持って臨みたいところです。しかし、鎮魂の日に能を舞うのですから、その意味をしっかり噛み締めて臨みたいと思います。
雲林院は世阿弥の作品とされていますが、残されている自筆本とは特に後場が全く異なります。しかし世阿弥の娘婿の金春禅竹の著作で言及されている雲林院は現行のものと見られているとの事で、かなり早い段階で現行の雲林院に近い改作がされていたようです。
雲林院について
雲林院は世阿弥の作品とされていますが、
前場は、伊勢物語マニアの芦屋公光(ワキ)が、
原典に当たっていないので心許ないのですが、
それに対して現行雲林院の後段は、ワキの夢に業平の霊が現れ、
但し、語って聞かせると言っても、実際にはその語り(
そのクセ舞に続いて太鼓入り序之舞を舞うのですが、
この、舞を目的とする後シテのあり方は、世阿弥の考案した所謂複式夢幻能の趣きです。
舞の波動は、
その様な要素を能に組み込んだのは紛れもなく世阿弥でしょう。
余談ながら、『杜若』も大方は金春禅竹作かと思いますが、
私は『能の裏を読んでみる〜隠れていた天才』(kindle版)
演能の曲目と言うのは、
能は特にそう言う曲ではなくとも、
2018年3月1日木曜日
卒都婆小町を致します
この春の催しをご案内申し上げます。
- 3月11日(日)九皐会例会『雲林院』 公演情報はこちら
- 4月18日(水)中所宜夫能の会『卒都婆小町』
『雲林院』についてはまた改めて書きます。
今回は自主公演での『卒都婆小町』について、何故平日なのかと言うことも含めてのお知らせです。
私は、大学卒業後能の世界に飛び込み、観世喜之先生の内弟子になりました。独立したのが昭和63年ですので、舞台活動の殆どを平成と共に歩んできたことになります。多くの方々に助けられ順調に能楽師としての道を歩んで来られたと思います。そして今年平成30年、私は60歳の還暦を迎えます。今の時代還暦と言って何も珍しくありませんが、何かひとつ節目の舞台をしたいと思い、一昨年に師匠に相談したところ、お許しを頂き、卒都婆小町を披くことになりました。
公演日は私の還暦の誕生日です。平日の昼公演ですが、是非多くの方に観て頂きたいと思います。
チケット申込 TEL&FAX 042-550-4295
Email: nakashonobuo@nohnokai.com
卒都婆小町について
能には老女物と呼ばれる一連の曲があります。「卒都婆小町」「鸚鵡小町」「姨捨」「檜垣」「関寺小町」です。姨捨以下の三曲は特に三老女として重く扱われ、近年までその全てを披いた演者は殆どいませんでした。これは権威的な側面よりも、寧ろそこに能の最高の到達点を定め、力量・経験に不足の演者が軽々に演じることを戒めて来たためです。
卒都婆小町は百歳の小野小町をシテに据えて、その老女物の最初の曲に定められていますが、他の曲が老女の舞を中心に据えているのに対し、深草少将が憑依する物狂いに焦点を当てているのが特色です。言わば三老女が天上的な世界を描くのに対し、卒都婆は人間存在を突き詰めている曲です。
作者は観阿弥とされており、「自然居士」と並んで最も観阿弥らしい作品に数えられています。確かにその劇的構成の巧みさは観阿弥ならではの見事なものですが、しかし老女になってなお物狂いする姿を、決して悲惨なものとして描いていない、寧ろ見詰める視線の愛おしげな優しさの中に、私は世阿弥ならではのものを感じます。
これは謡の詞章だけからはわからないかも知れませんが、数年前に卒都婆小町を目標に定め、自分なりに稽古をして来た中で思っていることです。
皆様とともに、当日の舞台でそれを確かめたいと思います。
卒都婆小町は百歳の小野小町をシテに据えて、その老女物の最初の曲に定められていますが、他の曲が老女の舞を中心に据えているのに対し、深草少将が憑依する物狂いに焦点を当てているのが特色です。言わば三老女が天上的な世界を描くのに対し、卒都婆は人間存在を突き詰めている曲です。
作者は観阿弥とされており、「自然居士」と並んで最も観阿弥らしい作品に数えられています。確かにその劇的構成の巧みさは観阿弥ならではの見事なものですが、しかし老女になってなお物狂いする姿を、決して悲惨なものとして描いていない、寧ろ見詰める視線の愛おしげな優しさの中に、私は世阿弥ならではのものを感じます。
これは謡の詞章だけからはわからないかも知れませんが、数年前に卒都婆小町を目標に定め、自分なりに稽古をして来た中で思っていることです。
皆様とともに、当日の舞台でそれを確かめたいと思います。
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