2019年5月21日火曜日

舞台のご案内「朝長」


九皐会若竹能で「朝長(ともなが)」を致します。

この曲は世阿弥作の修羅能の中でも特に重い扱いの曲です。難曲と言って良いこの曲に、ようやくとりかかる機が熟したのを感じています。

夏の盛りに早春の曲となりますが、是非とも能楽堂にお運びいただき、能ならではの情趣をお楽しみ下さい。






「朝長」について 


源朝長は義朝の二男、頼朝、義経の兄になります。平治の乱で深手を負い、父義朝と共に東国に落ちようとする途次、美濃国青墓(おおはか)宿で自害して果てる弱冠十六歳の少年武者です。

後シテは修羅物の常の通りその朝長の幽霊なのですが、この曲は前シテに青墓宿の長者の女性を配しています。朝長の自害を目の当たりにした人です。さらにはワキにはもと朝長の傅(めのと)だった僧を配しています。

この曲の前段では、朝長の四十九日に当たる日に、その墓前に二人が会し、しめやかに故人をしのびます。青墓の長者の語る最期の有様は痛ましく、臨場感に溢れています。長者は僧を宿に伴い、朝長の厚い供養を頼みます。

後段では、僧たちにより観音懺法(かんのんせんぼう)が手厚く行なわれる中、朝長の幽霊が現れて最期の有様を再現します。

観音懺法は大変重い行法のようです。他の曲には出てきせん。

詞章に「とりわき亡者の尊っとみ給ひし観音懺法」と謡われますが、世阿弥の頃にとりわけて観音懺法を尊んでいたのは、他ならぬ足利将軍家です。応永三十二年、世阿弥六十二歳の時、十九歳の五代将軍足利義量が急死します。能の作品が何時作られたのかを特定することは難しいのですが、これは何もなすことも出来ずに世を去った、五代将軍の死後、

あまり時を置かずに作られたのではないかと思われます。

2019年2月28日木曜日

4月14日九皐会例会『忠度』






舞台のご案内を申し上げます

九皐会の四月定例会で「忠度(ただのり)」を致します。

これは世阿弥作の修羅能の中でも傑出した作品です。平忠度は清盛の末弟ですが、都の兄弟たちから離れて熊野で育ち、和歌を藤原俊成に学んだ異色の存在です。前段で年老いた海士人となり、歌枕の地としての須磨の風光を愛で、後段では忠度の往時の姿で、一の谷で討たれた有様を顕すのですが、ワキにかつて俊成の身内にいて歌を修めた僧を配し、文武二道と言いながら、歌道に偏る忠度の執心をどっしりと受け止め描いています。

        行き暮れて木の下蔭を宿とせば
                                花や今宵の主ならまし

忠度が一の谷の合戦に臨んで、箙(えびら)に忍ばせた一首は、戦いに明け暮れて落魄の身となっても、そこに身を寄せるべき花の存在を歌っています。忠度と同様、世阿弥を取り巻く武士たちの中にも、そのような人が多くいました。世阿弥は舞台上に表される一期一会の美しさを花に例えていますが、この曲はその芸能論を見事に集約した作品となっています。

若い演者が真直ぐに演じて華やかな良い舞台となることの多い曲です。しかし前シテが老人であることから、例えば世阿弥の後援者と考えられる今川了俊が、引退後に和歌や禅に打ち込んだことなどを思わせて、還暦を過ぎた私の歳で取り組んでも、余りそうな奥行きがあるのではと思います。

春の盛りの頃、是非ご来場賜わりますよう、ご案内申し上げます。

中所 宜夫

2019年1月14日月曜日

2月21日(木)夜 石牟礼道子さん追悼公演

2月21日(木)、国立市のくにたち市民芸術小ホールで、パーカッショニストの加藤訓子さんとのコラボレーションによる石牟礼道子さん追悼の公演をします。
石牟礼道子の詩「花を奉る」を能の謡と舞、それにパーカッションによる現代音楽で表現します。

「花を奉る」はもともと水俣病の被害者の有り様を受けて詠まれた詩ですが、三一一後の世界に向けて、石牟礼さんが新たに発表した作品です。自分に何が出来るだろうかと焦燥に駆られていた時に、この詩に出会い、謡の節付けをして謡い始めました。その後それは新作能「中尊」 となり、2016年3月11日に福島の安洞院で演じることが出来ました。

加藤訓子さんとの共同制作をくにたち市民芸術小ホールが企画して下さったのが、2013年でした。その頃私はこの詩を作品化しようとしていましたので、この共同制作にもこの詩を取り入れ、「音霊言霊」という作品になりました。これはその後、相馬、豊橋、そして再び芸小ホールで再演を重ねたることとなりました。
今回は加藤さんが企画するパーカッションの祭典の中で、昨年二月に亡くなった石牟礼さんの追悼として、この詩をとりいれた「音霊言霊」の後半部分を演じようというものです。

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

この日だけの一日チケットは私の方でも承ります。

中所 宜夫
nakashonobuo@nohnokai.com


2019年1月6日日曜日

演能のご案内 2月11日 「弱法師」


今年最初のシテは、 緑泉会例会の「弱法師(よろぼし)」です。 平成十四年に初演して以来の再演となります。

この曲は盲目の少年・俊徳丸が父・高安通俊と再会する物語です。
 舞台となる大阪の四天王寺の西門には今でも石の鳥居があります。 境内は少し高台となっていて、 鳥居の外に大阪の町並みを見渡すことができますが、 当時はそこには海が広がっていました。
また、舞台に作り物を出したりはしませんが、 その鳥居の傍らには梅の花が咲いています。 まだ寒さの厳しい中、 色も薄く密やかに咲きながら、 その芳香がこの曲を包んでいます。

さて、通俊が行う施行の場に、 弱法師となった俊徳丸が現れますが、 その変り果てた姿に父は我が子と気づきません。 梅の香に包まれた弱法師が、 天王寺の縁起を語っていると、 境内に鐘の音が響きわたり、 周りの全てに仏心が輝くと見えたその時、 父はそれと知るのです。
雑踏の中での父子の名乗りを憚った通俊に、 日想観(じっそうかん)を勧められて、 弱法師は入り日向って観想行に入ります。 鳥居の外に広がる海の向うに日は沈んで行きます。 夕闇に家路を急ぐ参拝客にぶつかりながら、 何とか杖を頼りに立ち上がった弱法師に、 通俊はついに名乗って再会を果します。

この曲の作者は世阿弥の跡を継ぎながら、 三十半ばで急死した十郎元雅です。 この背景には何かが秘められているようです。 通俊が讒言した者を「さる人」と言うのは、 その人の身分が高いことを思わせます。 おそらく、 この作品は元雅の死の一年前に作られています。

梅の花にはまだ早いかも知れませんが、 春を待つ一日、 是非能楽堂へ足をお運び下さい。

チケット等お問合せ先
TEL&FAX  042-550-4295 ナカショ
nakashonobuo@nohnokai.com