九皐会若竹能で「朝長(ともなが)」を致します。
この曲は世阿弥作の修羅能の中でも特に重い扱いの曲です。難曲と言って良いこの曲に、ようやくとりかかる機が熟したのを感じています。
夏の盛りに早春の曲となりますが、是非とも能楽堂にお運びいただき、能ならではの情趣をお楽しみ下さい。
「朝長」について
後シテは修羅物の常の通りその朝長の幽霊なのですが、この曲は前シテに青墓宿の長者の女性を配しています。朝長の自害を目の当たりにした人です。さらにはワキにはもと朝長の傅(めのと)だった僧を配しています。
この曲の前段では、朝長の四十九日に当たる日に、その墓前に二人が会し、しめやかに故人をしのびます。青墓の長者の語る最期の有様は痛ましく、臨場感に溢れています。長者は僧を宿に伴い、朝長の厚い供養を頼みます。
後段では、僧たちにより観音懺法(かんのんせんぼう)が手厚く行なわれる中、朝長の幽霊が現れて最期の有様を再現します。
観音懺法は大変重い行法のようです。他の曲には出てきせん。
詞章に「とりわき亡者の尊っとみ給ひし観音懺法」と謡われますが、世阿弥の頃にとりわけて観音懺法を尊んでいたのは、他ならぬ足利将軍家です。応永三十二年、世阿弥六十二歳の時、十九歳の五代将軍足利義量が急死します。能の作品が何時作られたのかを特定することは難しいのですが、これは何もなすことも出来ずに世を去った、五代将軍の死後、
あまり時を置かずに作られたのではないかと思われます。