2025年6月7日土曜日

9月28日(日) 『三輪』のご案内


九月の緑泉会で『三輪』を舞います。


平成十年に舞って以来、二十七年ぶり二回目となります。神話の世界を描いて人気の曲にもかかわらず、長い間再演をしなかったのは、この曲の「わからなさ」にあります。前段の渋さから一転しての、後段の燦びやかさ。この対照が今ひとつ理解できずに、再演候補に上がらないまま年月が流れました。一曲の最後に「思へば伊勢と三輪の神、一体分身【ふんじん】の御事」と、腑に落ちないことを言っているのも、その対照性を呑み込む妨げでした。


ところが田中英道先生(この四月三十日にご逝去なさいました。謹しんでご冥福をお祈り申し上げます。)の提唱された「秦氏ユダヤ人説」を知り、最初は否定的に感じていたのですが、可能性として充分あり得る、むしろそうであれば色々納得もいくと考え始めると、この曲をもう一度舞ってみようという思いになりました。


観世流ではこの曲を一種特別の曲としていて、「白式神神楽【はくしきかみかぐら】」「誓納【せいのう】」など一子相伝とされる重い小書があります。今回は小書ナシの演能ですが、そのような特別さを常は隠しておくことも、能らしさの大きな側面だと思います。


まだまだ暑さの残る頃の演能かとは思いますが、能『三輪』の世界を味わうひと時を、是非能楽堂でお過しください。





『三輪』について


この曲に私が抱いていた違和感は、前段の仏教的で墨絵のような世界と、後段の神道的で光に満ちた世界とが、どうしてつながるのかが腑に落ちなかったところから来ていました。本地垂迹に従えばつながるのは当たり前なのかも知れません。しかしそれならば曲の終りに「思へば伊勢と三輪の神、一体分身の御事」と結んでいて、これは神と仏の話になっていないのが不審です。後段に女姿で登場しながら、クセ舞の部分では、男姿で通ってきた三輪の神の説話を舞うことも不思議です。作者は世阿弥とされています。作能にあたって「本説正しい」ことを大切にした世阿弥ですから、これらにはそのように作る必然性があったのだと思います。


ワキの玄賓【げんぴん】は奈良から平安にかけて実在した僧です。天皇の病気平癒を祈願祈祷しながら報奨を固辞した事績のためと思われますが、五百年後の中世の頃には権力に交わらない清貧の僧として、説話集に取り上げられるような人気の人物でした。案山子が山田の案山子と呼ばれるのも、玄賓が山田から害獣を追い払って山田の僧都と言われていた故事からきています。『三輪』の中にも「山田守る僧都の身こそ悲しけれ」という詞章があります。


その玄賓のもとに毎日手向けの水を運ぶ女がいて、その女が寒さを凌ぐための衣を玄賓に乞うのですが、清貧の僧に衣を乞うというのも、不思議なことです。しかも平安初期の説話集には、玄賓が女から衣を与えられて、「三輪川ノ渚ノ清キ唐衣クルト思ナヱツトオモハジ」と歌を詠んだ話があります。能では玄賓が女に衣を与え、神からの歌として、これに似たような歌が示されています。


三つの輪は清く浄きぞ唐衣くると思ふな取ると思はじ


江戸時代の能の注釈書である「拾葉抄」には、「此歌を三輪【さんりん】清浄の偈とも又は三輪空寂の布施とも云ふなり。三輪空寂とは施者・受者・施物此の三を三輪と云ふ。空寂とは施す人も受くる人も何とも心に思はず、無心なる處を空寂と云ふなり。此心をくると思ふな、えつと思はじとの神詠なり。」とあるそうです。この三輪空寂の教えは布施についての教えですので、「みわ」と「さんりん」を交錯させて、説話集からワキを玄賓僧都としたのでしょう。


その仕立ての中から世阿弥は神話の世界へ舞台を広げます。


神木に止まる衣に金色の神詠を認めた玄賓の頭上に、妙なる声が響きます。それは意外にも罪業を救って欲しいという神の言葉でした。しかもその罪の意識は衆生済度の方便のためだと言うのです。女姿で玄賓の前に現れた三輪の神は、巫女の姿を借りて、その子細を物語ります。


方便の中にも歌の力、即ち言葉の力を第一に上げます。「しかるにこの敷島【しきしま】は、人敬って神力増す。」と謡われる敷島とは和歌の道のことです。世阿弥作の能ではしばしば和歌が、物語を引き出す媒介となっています。


次に神が方便のために人の世、即ち「五濁の塵」に交わったお話として、三輪の里に年久しく暮した夫婦の物語が語られ、後シテの女神はこの物語をクセ舞で舞います。更に、神代の物語となり天の岩戸の子細が語られます。ここで「神楽」の囃子となって、女神は神楽を舞います。世阿弥の作品には「歌舞の菩薩」という言葉がしばしば出てきます。これは世阿弥が、歌と舞によって人々を救うことを目指していたからに他なりません。神楽は「プ、ポン、プ、ポン、・・・」と小鼓が刻み続ける上に重ねて演奏されますが、これは神を召喚するリズムであり、序から破、急と進んだ末に、急に曲調を変えて神舞になります。すなわち神が下りて神そのものが舞っているのです。


もともと女神である後シテですが、岩戸隠れをした天照大神を呼び出すための舞を真似て見せているために、巫女姿で神を召喚する舞を舞うわけです。


この時、三輪の神が天照大神を演じているのですが、ここで地謡によって「思へば伊勢と三輪の神、一体分身【ふんじん】の御事、今更何と磐座【いわくら】や。」と謡われます。


神道に少し通じた人であれば、三輪は大和の国津神系なのに対し、伊勢は外来の天孫系だと考えて、この詞章には疑問を持たれるのではないでしょうか。私もそのように考えていました。この曲を再演しなかった大きな原因のひとつです。


ところが田中英道先生の、失われたユダヤの十支族が、時を違えて日本列島にやってきた、という説に従えば、伊勢と三輪の神が一体であることに疑問はありません。しかも田中先生は秦氏もユダヤ系の一支族だと主張されています。『風姿花伝』の「第五神儀の伝」で、聖徳太子が秦河勝に命じて舞を舞わせたのが、申楽の始まりであり、その伝承を担ったのが金春氏であると説明されています。また観阿弥、世阿弥も秦氏を名乗っていますので、この伝承の系譜に連なっています。


世阿弥はこの曲によって、一般に流布している内容とは異なる一族の伝承を形にして残したのです。先に見たように「みわ」と「さんりん」を交錯させて、当時の人気キャラであった玄賓僧都をワキとして登場させ、衣の布施の方向を入れ替えたのも、異説であることの象徴として仕立てたのだと思います。


さてその上で、世阿弥がこの曲を作った動機、一族の伝承を曲として残そうと思ったきっかけとはどのようなものだったのかを、考えたいのですが、さてさて何か見つかるのでしょうか。ともあれそのようなことを思いつつ、本番に向けて稽古して行きたいと思います。


2025年3月27日木曜日

『玄象』ご案内


五月の九皐会例会で『玄象【げんじょう】』を致します。

玄象というのは中国伝来の琵琶の名器の名前です。 前段では汐汲みの老人となり、 須磨の浦の夕暮れに景色を愛でつつ汐汲みをしたり、 宿を貸した藤原師長【もろなが】から請われて琵琶を奏でたりと、 しどころも多く、 後段では玄象の持ち主の村上天皇その人となって舞を舞います。

前段はドラマ性が強く、 普通に演じて面白い曲ですが、 やはり能としての主眼は後シテの村上天皇の舞う早舞【はやまい】です。 早舞は「盤渉【ばんしき】舞」とも呼ばれる、貴人が舞う舞で、 武士たちが憧れていた貴人たちの優雅さを舞台に再現しようとしています。

琵琶の秘曲を求めて入唐を志す師長でしたが、 本物は日本にこそあるのだと示されて入唐を断念すると、 それを祝福するように村上天皇が登場するわけですが、 目的を断念して褒められるという図式は、獅子舞で知られる『石橋【しゃっきょう】』も同様ですので、何かそれに類する出来事が、作者の周辺にあったのかも知れません。

そのようなことを思いながら稽古を進めています。初夏を迎える頃のひと日、 能楽堂で王朝の優美を味わってください。



『玄象』について


この曲が作られた背景を考えてみると、 様々な要素があって興味は尽きません。


作者として伝えられる金剛彌五郎という人は、『三笑【さんしょう】』や『鳥追船【とりおいぶね】』などの作者としても名前が残されています。いずれの曲も一風変った仕立ての曲で、稀にしか上演されませんが、この『玄象』は構成もしっかりしていて人気曲の一つとなっています。おそらく世阿弥よりも一世代が二世代後の人かと思われ、世阿弥が確立した曲の構成を踏襲しつつ、前段に変化に富む劇性を配し、後段には舞をたっぷり舞わせて祝意を高める仕掛けを作っています。


金剛大夫は、大和四座の一つである坂戸座の大夫ですから、この彌五郎もその一人と思われます。観阿弥・世阿弥の観世大夫も大和四座の結崎座の大夫でした。翁舞を伝承する大和四座から出て、猿楽一座を旗揚げした観阿弥に続き、外山座{とびざ}の宝生大夫や円満井座{えんまいざ}の金春{こんぱる}大夫も猿楽に進出したのでしょう。それがそのまま現在の能楽五流のうちの四つとなっています。金剛彌五郎も観世座の隆盛を受けて猿楽に進出する中で、この一曲を創作したのでしょう。


舞台は須磨の浦です。須磨を舞台とする曲は多くあります。古代より歌枕の地となり、それがために「源氏物語」の舞台となり、創作に携わる多くの人が時代を重ねつつ思いを寄せ、さらに遠く源平合戦では一の谷の合戦場となり、近くは南北朝騒乱の湊川の合戦の地となっています。また、摂津・播磨の守護大名であった赤松氏が、三代則祐【そくゆう】において観阿弥の庇護者だったと思われるので、その影響もあるでしょう。


また、琵琶が大きなテーマとなっています。前段で琵琶の演奏を聞いていた尉が、村雨の板屋をたたく音が高すぎるからと、屋根に苫を敷いて音を整える場面で、「只今遊ばされ候琵琶の御調子は黄鐘【おうしき】、板屋を敲く雨の音は盤渉【ばんしき】にて候程に」と説明しますが、これは雅楽で用いられる音階の名前です。演奏が黄鐘というのは黄鐘の音を基調にした楽曲ということです。先行芸能だった雅楽は、貴族の文化の象徴として猿楽者たちにも、そしてスポンサーの武士にとっても、憧れの存在だったのです。


もう一点、前段で尉と共に登場する姥ですが、最後に「村上の天皇、梨壺の女御夫婦なり」と名乗りをして姿を消します。村上天皇の女御の一人、宣耀殿【せんようでん】女御、藤原芳子が琴の名手だったようなので、この人が梨壺の女御のモデルかと思います。それにしても何故梨壺という名にしたのかは一考に値するのではないでしょうか。


色々な要素に想像をかきたてられ、興味は尽きません。


2025年1月29日水曜日

『淡路』ご案内

 二月二十三日(日)九皐会若竹能での『淡路』を致します。


昨年二月に九皐会定例会で『高砂』を致しましたが、その時に神舞を舞う曲を今のうちにもう一回やっておきたいと思いました。神舞は最高速のお囃子の演奏に乗せての舞となりますが、世界を構成しているエネルギーの躍動を表現しているように感じ、まだ身体の動く今のうちに再挑戦したいと思います。

神舞を舞う曲は七八曲ありますが、中でも『高砂』『弓八幡{ゆみやわた}』『淡路』の三曲は、曲の構成も厳格で位の高い扱いとなっています。そして高砂があまりにも人気曲となってしまったために、他の二曲は滅多に上演されなくなってしまいました。


武器の象徴である弓矢を袋にしまって、平和を言祝ぐ『弓八幡』は、今日的なテーマでもありますが、私は神話の天地創造を描いた淡路に魅かれます。南北朝から室町初期の頃の神話解釈は、古代的なおおらかさからは遠いものですが、万物流転のダイナミズムを描くなかに、武家式楽の確かさを感じます。

まだまだ寒さの厳しい頃ですが、能楽堂へ足をお運びいただければ幸いです。


『淡路』について


この曲の作者はおそらく観阿弥です。そして後援者である赤松則祐{そくゆう}の旅に同行して、この曲を作ったのだと思います。

赤松則祐は、足利尊氏とともに六波羅探題を攻め、鎌倉幕府打倒に功績のあった赤松円心の三男で、最初は大塔宮護良{もりよし}親王に仕え、後に父円心に従って尊氏の家臣となった人物です。長男の急死により家督を相続し、武功を重ねて播磨・摂津の守護となりました。茶人としても知られ、禅にも造詣が深く、そして和歌にも秀れていました。二代将軍義詮{よしあきら}の時には、幕府の重鎮となり、正平十六年の義詮都落ちの際には、まだ幼かった後の三代将軍義満を預かって播磨に疎開させています。婆娑羅大名として知られる佐々木導誉の娘婿でもありました。もし、この南北朝騒乱の時代が、戦国時代や幕末とは言わないまでも、せめて源平合戦並みにポピュラーであったなら、必ず取り上げられて然るべき当代一級の人物です。

私は、観阿弥の勧進能の記録の最も古いものが、須磨寺での記録だということから、当地の守護であった赤松則祐と観阿弥とは、かなり深い関係があったと考えています。そしてこの『淡路』という曲は、二人の関係をそれとなく仄めかしているように思えます。

住吉・玉津島への参詣を宿願とするワキは、あきらかに歌詠みです。曲中「谷水を堰く水口{みなくち}に五十串{いぐし}立て苗代小田の種蒔きにけり」という歌が引かれますが、出典不明のこの歌が則祐の歌だとすると、歌人・文化人としての赤松則祐の淡路詣に、お気に入りの人気猿楽師観阿弥が同行している様子が目に見えるようです。

また地謡によって語られる天地創造の物語ですが、今私達が『古事記』『日本書紀』で知る伊弉諾{いざなぎ}、伊弉冉{いざなみ}のお話とは、何か微妙に異っているのです。この曲の天地創造は、記紀にはない陰陽思想や五行思想による解釈が混っています。これは中世の頃の一般的な解釈なのかも知れませんが、それを明確に著しているのが南朝の重臣北畠親房が著した『神皇正統記』なのです。大塔宮に仕えた赤松則祐ならば、この天地創造譚を良く聞き知っていたのではないでしょうか。

さてそのような物語を受けて、後段に登場する後シテは伊弉諾{いざなぎ}の神です。現代の視点から見ると、伊弉冉{いざなみ}が登場しないのが残念で、二神が並んで舞うような曲であったら、特徴ある一曲として人気曲の一つとなっていたかも知れません。しかしそれは二百番を越える現行曲を見渡して始めてわかることです。則祐と観阿弥にとって創作の旅は始まったばかり。

伊弉諾が勢い良く舞を舞うことで、武人としても秀れていた則祐の姿をも映し、観阿弥は天地創造の物語を完結させたのだと思います。