twitter(@show3418) や facebook もやっていますが、一寸最近飽き気味なので、ここで心機一転ブログなるものを始めてみようかと思います。いろいろあるブログのサイトからどれを選ぼうかと迷いましたが、google との連携が良さそうなこの Blogger を選びました。
今まで放っておいた google+ のプロフィールを書いて、写真をアップ。
プロフィールの直面(ひためん:能面を掛けないで演じることをこのように言います。)の写真は、昨年一月の名古屋九皐会での『翁』の時のもの。前垂れのある装束は狩衣(かりぎぬ)と言い、この模様(蜀紅模様)は翁専用のものです。
カバー写真は、今年四月の緑泉会での『海士』のものです。肩の部分だけ見えているの
は、色変り桜模様金箔の着付け、上に肩脱ぎで着ているのは、納戸地蜘蛛巣桜花散らし文様縫箔、能面は深井です。
私は、数年前から山口能装束研究所の山口憲さんと知遇を得て、江戸時代の能装束の復原品を使わせていただいています。どの装束も美しく品格に満ちています。山口さんに江戸時代の武士が持っていた美意識の高さ、それを生み出すに相応しい孝養などについて、色々お話しを伺い、それまで自分の持っていた武士に対する見方が大きく変りました。それが今の私の舞台を支えています。
能面は私の住むあきる野市のお隣、羽村在住の面打ち新井達矢作の「深井」です。新井達矢さんに初めて会ったのも、もう既に七八年前になるでしょうか。正月に我が家の舞台に能面と装束を展示していたところに、お父様と二人でいらして、当時は中学生かと見紛うばかりの初々しさでした。私はお父様に向けて色々説明をしていたのですが、一通り終った時に、お父様が達矢さんの方を一寸見て、「どう?」という感じの言葉を掛けたのですが、その時に急に昔読んだ新聞記事が思い浮んだのです。私が結婚して間もない頃でした。面打ちの人間国宝長澤氏春さんのところに小学生が弟子入りしたという記事でした。それまでは全く思い出すこともなかったその記事が急に頭に浮かび、ひょっとしてこの人がその小学生ではないかと、思い当ったのですから、人間の記憶というものは本当に不思議です。新井達矢さんとはそれからのおつきあいです。今では押しも押されもせぬ面打ちとして第一線で活躍しています。
『海士』の舞台は、装束と面に助けられて、自分なりに満足の行く舞台だったと思います。勿論録画などを見返すと、多くの駄目出しが出るのですが・・・
今年は、正月に九皐会初会で『白鬚』、四月の緑泉会例会で『海士』を致しました。残るは十月の名古屋九皐会の『砧』です。先日そのチラシが出来て来ました。大曲です。
『砧』についてはまた日を改めて。
と、こんな具合で書いて行こうと思います。宜しくお願い致します。
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