2014年7月9日水曜日
ある出会いと記憶の不思議
一昨日のことですが、朝稽古の後時間が空き、丁度その日から始まる若手の面打五人による展覧会に行って来ました。
皆なかなかのレベルで、面打ちの世界にも若い人たちが出て来ました。
能面というのは、室町時代に最高のものが作られて、その後は本面の写しを専らとして来た世界です。自分の解釈などと言うものを簡単には受け入れてくれません。
古典の持つ形式の力を、それに縛られていると考えるか、その恩恵に与っていると考えるか、それは人それぞれですが、新しいものを生み出そうとする試みが屡々陳腐なものに堕してしまうのは、古典を十分消化していないためだと思います。その意味でこの5人の皆さんは、古典を真摯に追求していらっしゃるように見えました。
さて、この「五感」の一人である新井達矢さんと私の出会いは、ちょっと面白いのでどこかに書こうと思っていたのですが、良い機会なので書いて置きたいと思います。
それは平成16年ですから丁度10年前の1月5日。私は3日からの3日間、自宅の舞台を公開して杉本洋画伯作の鏡板の老松の絵と能装束・能面を見ていただく催しをしていました。公開と言っても大した宣伝はしていませんので、お正月のこともあり、知り合いが時々訪れるくらいのことでした。その最終日に父子と思しき40代くらいの男性と毬栗頭の男の子が地元の新聞を見てと言って、来て下さいました。
私は当然お父様にいろいろ説明してお話ししたのですが、ひと通りの説明が終った時に、お父様が傍らの男の子に「どう?」と言う感じで顔を向けたのです。その瞬間に、「あれ、本当のお客様はこの男の子だったのかな」と言う疑問が浮かび、続いて昔読んだ新聞記事の記憶が急に甦って来ました。
その記事は、「能面の人間国宝・長澤氏春さんの下に小学生が弟子入りした」と言うようなものでした。ひょっとしてと尋ねると、まさにその男の子がその小学生の成長した姿で、それが新井達矢さんでした。
先程から「男の子」と書いていますが、そのようにしか見えなかったのですね。二十歳は過ぎていたのですから、大変失礼なことですが、当時の私の衝撃を知ってもらいたいので、敢えてそう書きました。
その翌日に彼がこれまでに打った能面を見せてもらったのですが、それがまた衝撃でした。私は、彼が13歳の時に打った「泥牙飛出(でいきばとびで)」の一面に、全く魅せられてしまいました。その年の秋に「殺生石(せっしょうせき)」をやることになっていたのも、また巡り合せでした。
それから早や十年になるのですね。あの時に何故あの記事のことが突然思い出されたのか、本当に不思議ですが、そういうことは私たちを取り囲む出来事の中に、気付かず埋もれているのでしょう。
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