◯6月14日(日)緑泉会例会 午後1時開演(会場 12時30分) 於 喜多能楽堂(目黒駅より徒歩7分)能 清経 鈴木 啓吾狂言 柿山伏 山本 泰太郎 仕舞3番能 誓願寺 中所 宜夫(誓願寺の始まりは、3時過ぎ頃)チケットのお申込みは私の方で承ります。
以前の記事にも書きましたが、私は世阿弥が初めて書いた複式夢幻能がこの曲なのではないかと考えています。それを意識して稽古をして来て、先日ふと思った事があります。
前段の夜念仏の場面、これは謡ではロンギと呼ばれる形式で、地謡とシテとの掛け合いが長々と謡われる場面です。
地「早や更けゆくや夜念仏の。聴衆の眠り覚まさんと。鉦打ち鳴らし念仏す一読して「ありがたや」が何度も出てくるのが印象的です。この中の二度目のシテ謡の中で初めての弥陀の國と言い、また往生の事を「涼しき道」と言っていますが、この辺りに世阿弥が得た神秘体験の痕跡を求めるのは穿ち過ぎでしょうか。
シテ「ありがたや五障の雲のかかる身を。済け給わばこの世より。二世安楽の國にはや生れ往かんぞ嬉しき
地「げに安楽の國なれや。安く生まるる蓮葉の台の縁ぞ真なる
シテ「ありがたや。ありがたや。さぞな始めて弥陀の國。涼しき道ぞ頼もしき
地「頼みぞ真この教え。或は利益無量罪
シテ「または余経の後の世も
地「弥陀一教と
シテ「聞くものを
地「ありがたやありがたや。八万諸聖教皆是阿弥陀仏なるべし。この御本尊も上人もただ同じ御誓願寺ぞと。佛と上人を一体に拝み申すなり
また、後段で長大な序の舞を舞った後に謡う言葉、
一人なお佛の御名を訪ねみん
各々帰る法の庭人
これを世阿弥の決意と読むと、宗教的高揚感だけではない、この曲の奥深さが出て来る様に思います。
さてさて色々と書きました。世阿弥は「秘すれば花」と仰っています。さしづめ私などは、何もかも喋ってしまう愚か者です。その愚か者の顛末。是非是非当日会場にて見届けて下さい。
参考にさせてもらいます。ありがとうございました。
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