2016年3月24日木曜日

三月十一日福島・安洞院鎮魂能楽らいぶ「中尊」のご報告

大震災と原発事故の後、能の本来の役目のひとつである鎮魂のために、新しい能『中尊』を作りました。一昨年の事でした。その能を各地でご披露しましたが、いずれも紋付袴姿での「らいぶ公演」でした。
今回は、他でもない福島の地でしかも三月十一日に公演するに当り、もう少し本格の能の形に近付けてみたいと思い、面装束を付けての公演となりました。お寺の本堂ですので、お囃子は笛のみ、地謡も四人で後見を兼ねる形で致しました。
公演後に書いていただいたアンケートには、「難しくてわからなかった」と言う感想もありましたが、「感動した」「涙が流れた」「鎮魂にふさわしく、心が安まった」「祈りと花の力をありがとうございました」など、概ね嬉しい言葉が並んでいます。
写真を何枚かご紹介します。お客様の写っているものが何枚かあって、皆様のお顔がとても一生懸命見て下さっていて良いのですが、色々と問題もありますので、ここでは私だけが写っているものに致します。

内陣の裏から登場します。面装束は観世九皐会からお借りしました。面は「霊女」です。右手に数珠、左手には蓮の実を持っています。
二枚目の写真は、その蓮の実を地蔵の祠に捧げて祈っている場面です。
震災後、福島から岩手へ子供と共に避難しながら、三年目に子供だけが福島に戻ってしまった、その子の行く末を案じてお地蔵さまにお祈りしています。
この蓮の実ですが、本物の中尊寺蓮の実です。一昨年、盛岡の一ノ倉邸で初演した折に、記念に頂戴したものです。
詩人に請われて自分の身の上を語る女。
 中尊寺蓮の謂れを語るうちに、何かに憑依されて舞を舞い始める女。藤原泰衡の首桶に残っていた蓮の種が、八百年後に花を咲かせ、その鮮かな紅が、濁世を微かに照らしている、と言う謡に乗せて舞う曲舞の最後の部分です。
 女に憑依したのは、太古よりの地霊でした。舞の衣を身に纏い、蓮の花を手にしています。
蓮の花を本堂正面の一輪挿しに捧げました。石牟礼道子さんの詩「花を奉る」の謡に乗せて動いています。
「かの一輪を拝受して、寄る辺なき今日の魂に奉らんとす。花や何。人それぞれの涙のしずくに洗われて咲き出ずるなり。花やまた何。亡き人を忍ぶ、よすがを探さんとするに、声に出だせぬ、胸底の思いあり」



 そして胸底の思いを花あかりとして舞を舞います。


















「この世を縁といい。無縁ともいう。その境界にありて。ただ夢のごとくなるも  花」





「かえりみれば。まな裏にあるものの御かたち。かりそめの御姿なれども・・・」
 


「地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す」









最後に、祭壇に捧げた一輪挿しの蓮の花に向って合掌して終曲となります。
この様な機会を与えて下さった安洞院のご住職に、あらためて感謝申し上げます。














2016年3月15日火曜日

2月28日『葛城 大和舞』のビデオを見て思うこと

先月の月末に舞いました『葛城 大和舞』のビデオを見ました。能は現場から離れてしまうと生命を失ってしまいます。ビデオは単なる参考でしかありません。でも、自分の技術を確認して、思うようにいっている点、いっていない点をそれぞれ自分なりに評価するには有効な道具です。

当日の舞台をご覧下さり、感銘を受けたと言って下さる方がいれば、その舞台は一応の成功だと思います。でも、悪い評価の方が一人でもいれば、やはりまだまだ課題があるわけです。自分はやはり辛い評者でなければなりません。

能はその気になればずっと高みへ登り続けられる芸能です。先日、宝生流の三川泉師が94歳でお亡くなりになりました。数年前に仕舞のお姿を拝見したことがありますが、確固とした品格の高さに打たれました。実際にその高みを垣間見ることの出来た幸せに感謝します。

世阿弥は「時々の花」と言う事を言っています。今の自分に咲かせる事の出来る花を精一杯咲かせ続けて行けば、いつかは「真の花」になると信じて続けて行きたいと思います。






2016年3月7日月曜日

福島・安洞院鎮魂能楽らいぶ『中尊』 ご挨拶

 3月11日『中尊』公演のために書いた「ご挨拶」の文章です。
----------------
ご挨拶

能は中世において様々な鎮魂を意図して成立した芸能です。原発事故三年目にあたる一昨年、私はこの度の災厄に傷ついた魂を鎮めたいと思い、能『中尊(ちゅうぞん)』を創作しました。

鎮魂の方途を探る中、石牟礼道子さんの詩「花を奉る」を知り、この詩を能に仕立てることでそれが可能になるような気がしました。被災者の声を聞き集める和合亮一さんをモデルにワキを配し、シテの女性に「花を奉る」舞を舞わせ、それを八百年の時を超えて復活した中尊寺蓮の物語でつないだのがこの一曲です。

「中尊」という曲名は、復活の蓮が中央に対する東北の歴史そのものを象徴していることから名付けました。中尊寺の寺号そのものが謎なのですが、『法華経』「序品」にある「人中尊」に依るとも説明されています。「人は皆、自らの中に仏様となる尊いものを持っている」意であるとすれば、それはまさに「個人の尊厳」に他なりません。先人の掲げた「中尊」の言葉の中に、個人の尊厳を求めて進むべき「花あかり」を求めるのです。

今日という日にこの地でこの作品を演じることを厳粛に受け止め、先に逝った方々と残された方々のために蓮の一輪を捧げたいと思います。

中所 宜夫
----------------------------


つい先日のことですが、村松恒平さんのメルマガで、「個人の尊厳」と四つの虚無についてとても素晴しい文章がありました。FBでも公開していましたので、ご興味のある方は是非お読み下さい。
それに時を置かずにこの文章を書いていて、私自信が『中尊』=「個人の尊厳」だったことに改めて気がついた次第です。