----------------
ご挨拶
能は中世において様々な鎮魂を意図して成立した芸能です。原発事故三年目にあたる一昨年、私はこの度の災厄に傷ついた魂を鎮めたいと思い、能『中尊(ちゅうぞん)』を創作しました。
鎮魂の方途を探る中、石牟礼道子さんの詩「花を奉る」を知り、この詩を能に仕立てることでそれが可能になるような気がしました。被災者の声を聞き集める和合亮一さんをモデルにワキを配し、シテの女性に「花を奉る」舞を舞わせ、それを八百年の時を超えて復活した中尊寺蓮の物語でつないだのがこの一曲です。
「中尊」という曲名は、復活の蓮が中央に対する東北の歴史そのものを象徴していることから名付けました。中尊寺の寺号そのものが謎なのですが、『法華経』「序品」にある「人中尊」に依るとも説明されています。「人は皆、自らの中に仏様となる尊いものを持っている」意であるとすれば、それはまさに「個人の尊厳」に他なりません。先人の掲げた「中尊」の言葉の中に、個人の尊厳を求めて進むべき「花あかり」を求めるのです。
今日という日にこの地でこの作品を演じることを厳粛に受け止め、先に逝った方々と残された方々のために蓮の一輪を捧げたいと思います。
中所 宜夫
----------------------------
つい先日のことですが、村松恒平さんのメルマガで、「個人の尊厳」と四つの虚無についてとても素晴しい文章がありました。FBでも公開していましたので、ご興味のある方は是非お読み下さい。
それに時を置かずにこの文章を書いていて、私自信が『中尊』=「個人の尊厳」だったことに改めて気がついた次第です。
つい先日のことですが、村松恒平さんのメルマガで、「個人の尊厳」と四つの虚無についてとても素晴しい文章がありました。FBでも公開していましたので、ご興味のある方は是非お読み下さい。
それに時を置かずにこの文章を書いていて、私自信が『中尊』=「個人の尊厳」だったことに改めて気がついた次第です。
0 件のコメント:
コメントを投稿