2020年2月11日火曜日

令和2年2月15日(土)緑泉会「西行櫻」


2月15日(土)の緑泉会で「西行櫻」を致します。

この曲のシテは京都北山西行庵の片隅に、ささやかに花を咲かせる老木の桜の精です。幹は大きなウロとなり、皮ばかりから伸びた枝にわずかに花を咲かせる、その老桜ノ精が西行法師の詠歌に不審を向けて夢枕に立ちます。

       花見んと群れつつ人の来るのみぞ
                        あたら桜のとがにはありける

との西行の歌に、「浮世と見るも山と見るも、ただその人の心にあり。非情無心の草木の、花に浮世のとがはあらじ」と言葉を向ける桜の精。世事に煩わされることなく道を究めたいと思う気持ちに、それは心の構え方の問題だと答える有様は、作者世阿弥の葛藤をそのまま映しているようです。

 花の仏性を目の当たりにして、西行が「草木国土悉皆成仏」と誦えると、その功徳を喜んだ老桜ノ精は夜明けまで舞を舞い続けます。歌に詠まれた花の名所を謡込んだ舞は、やがて春の夜のたゆたいのような笛の舞となり、最後「花を踏んでは同じく惜しむ少年の春」と白楽天の詩を謡込んで夜明けとなります。

 私にはこの曲の中、俗世を嫌うのを戒めながら、西行の夢の場を借りて、少年と老人が対峙しているように見えます。それは少年世阿弥と歌の師である二条良基かも知れませんし、年老いた世阿弥と若い芸能者たちかも知れません。

 是非、春の朧の雰囲気を楽しみに能楽堂へお出かけ下さい。


以下は、チラシに載せた「西行櫻」の解説です。
舞台にで飾られた山の作り物に続き、西行法師(ワキ)が登場するとそこは都西山の西行の庵室となる。下京に住み、春になると山野に花を尋ね廻る者たち(ワキツレ)が登場し、その庵の花を見ようと連れ立ってやって来る。わざわざやって来た労に報いて招き入れる西行だったが、人々の賑いに俗世の煩わしさを思い出し、思わず一首の歌を読む。「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたらの咎にはありける」
 やがて夜となり人々と共に眠りにつく西行だったが、気がつくと一人となり、の老木の空洞から白髪老人(シテ)が現れて、先ほどの自分の歌を詠じている。不審する西行に老人はの精だと明かして、「憂き世と見るも山と見るも、ただその人の心にあり」と理を説いて戒める。西行が「草木国土悉皆成仏」の経文に思い至り読経合掌すると、老の精はこれを喜び、花を歌う詩歌を連ねる。都のの有様を歌い始めると興に乗って舞を舞う。時は移り夜も終りに近づけば、西行との名残りを惜しみ、その心をゆったりとした笛の舞(序之舞)に舞う。とうとう夜が明け始めた。いよいよ別れの時かと思いつつ、まだまだと思っているうちに夜は明ける。
 終曲の一節に、白楽天が「花を踏んでは同じく惜しむ少年の春」と詠んだ春の夜は明けて「翁さびて跡もなし」(老人は消えてしまった)と謡われる。少年世阿弥が歌を学んだ二条良基の姿をこの老の精に重ねるのはうがち過ぎだろうか。




2019年5月21日火曜日

舞台のご案内「朝長」


九皐会若竹能で「朝長(ともなが)」を致します。

この曲は世阿弥作の修羅能の中でも特に重い扱いの曲です。難曲と言って良いこの曲に、ようやくとりかかる機が熟したのを感じています。

夏の盛りに早春の曲となりますが、是非とも能楽堂にお運びいただき、能ならではの情趣をお楽しみ下さい。






「朝長」について 


源朝長は義朝の二男、頼朝、義経の兄になります。平治の乱で深手を負い、父義朝と共に東国に落ちようとする途次、美濃国青墓(おおはか)宿で自害して果てる弱冠十六歳の少年武者です。

後シテは修羅物の常の通りその朝長の幽霊なのですが、この曲は前シテに青墓宿の長者の女性を配しています。朝長の自害を目の当たりにした人です。さらにはワキにはもと朝長の傅(めのと)だった僧を配しています。

この曲の前段では、朝長の四十九日に当たる日に、その墓前に二人が会し、しめやかに故人をしのびます。青墓の長者の語る最期の有様は痛ましく、臨場感に溢れています。長者は僧を宿に伴い、朝長の厚い供養を頼みます。

後段では、僧たちにより観音懺法(かんのんせんぼう)が手厚く行なわれる中、朝長の幽霊が現れて最期の有様を再現します。

観音懺法は大変重い行法のようです。他の曲には出てきせん。

詞章に「とりわき亡者の尊っとみ給ひし観音懺法」と謡われますが、世阿弥の頃にとりわけて観音懺法を尊んでいたのは、他ならぬ足利将軍家です。応永三十二年、世阿弥六十二歳の時、十九歳の五代将軍足利義量が急死します。能の作品が何時作られたのかを特定することは難しいのですが、これは何もなすことも出来ずに世を去った、五代将軍の死後、

あまり時を置かずに作られたのではないかと思われます。

2019年2月28日木曜日

4月14日九皐会例会『忠度』






舞台のご案内を申し上げます

九皐会の四月定例会で「忠度(ただのり)」を致します。

これは世阿弥作の修羅能の中でも傑出した作品です。平忠度は清盛の末弟ですが、都の兄弟たちから離れて熊野で育ち、和歌を藤原俊成に学んだ異色の存在です。前段で年老いた海士人となり、歌枕の地としての須磨の風光を愛で、後段では忠度の往時の姿で、一の谷で討たれた有様を顕すのですが、ワキにかつて俊成の身内にいて歌を修めた僧を配し、文武二道と言いながら、歌道に偏る忠度の執心をどっしりと受け止め描いています。

        行き暮れて木の下蔭を宿とせば
                                花や今宵の主ならまし

忠度が一の谷の合戦に臨んで、箙(えびら)に忍ばせた一首は、戦いに明け暮れて落魄の身となっても、そこに身を寄せるべき花の存在を歌っています。忠度と同様、世阿弥を取り巻く武士たちの中にも、そのような人が多くいました。世阿弥は舞台上に表される一期一会の美しさを花に例えていますが、この曲はその芸能論を見事に集約した作品となっています。

若い演者が真直ぐに演じて華やかな良い舞台となることの多い曲です。しかし前シテが老人であることから、例えば世阿弥の後援者と考えられる今川了俊が、引退後に和歌や禅に打ち込んだことなどを思わせて、還暦を過ぎた私の歳で取り組んでも、余りそうな奥行きがあるのではと思います。

春の盛りの頃、是非ご来場賜わりますよう、ご案内申し上げます。

中所 宜夫

2019年1月14日月曜日

2月21日(木)夜 石牟礼道子さん追悼公演

2月21日(木)、国立市のくにたち市民芸術小ホールで、パーカッショニストの加藤訓子さんとのコラボレーションによる石牟礼道子さん追悼の公演をします。
石牟礼道子の詩「花を奉る」を能の謡と舞、それにパーカッションによる現代音楽で表現します。

「花を奉る」はもともと水俣病の被害者の有り様を受けて詠まれた詩ですが、三一一後の世界に向けて、石牟礼さんが新たに発表した作品です。自分に何が出来るだろうかと焦燥に駆られていた時に、この詩に出会い、謡の節付けをして謡い始めました。その後それは新作能「中尊」 となり、2016年3月11日に福島の安洞院で演じることが出来ました。

加藤訓子さんとの共同制作をくにたち市民芸術小ホールが企画して下さったのが、2013年でした。その頃私はこの詩を作品化しようとしていましたので、この共同制作にもこの詩を取り入れ、「音霊言霊」という作品になりました。これはその後、相馬、豊橋、そして再び芸小ホールで再演を重ねたることとなりました。
今回は加藤さんが企画するパーカッションの祭典の中で、昨年二月に亡くなった石牟礼さんの追悼として、この詩をとりいれた「音霊言霊」の後半部分を演じようというものです。

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

この日だけの一日チケットは私の方でも承ります。

中所 宜夫
nakashonobuo@nohnokai.com


2019年1月6日日曜日

演能のご案内 2月11日 「弱法師」


今年最初のシテは、 緑泉会例会の「弱法師(よろぼし)」です。 平成十四年に初演して以来の再演となります。

この曲は盲目の少年・俊徳丸が父・高安通俊と再会する物語です。
 舞台となる大阪の四天王寺の西門には今でも石の鳥居があります。 境内は少し高台となっていて、 鳥居の外に大阪の町並みを見渡すことができますが、 当時はそこには海が広がっていました。
また、舞台に作り物を出したりはしませんが、 その鳥居の傍らには梅の花が咲いています。 まだ寒さの厳しい中、 色も薄く密やかに咲きながら、 その芳香がこの曲を包んでいます。

さて、通俊が行う施行の場に、 弱法師となった俊徳丸が現れますが、 その変り果てた姿に父は我が子と気づきません。 梅の香に包まれた弱法師が、 天王寺の縁起を語っていると、 境内に鐘の音が響きわたり、 周りの全てに仏心が輝くと見えたその時、 父はそれと知るのです。
雑踏の中での父子の名乗りを憚った通俊に、 日想観(じっそうかん)を勧められて、 弱法師は入り日向って観想行に入ります。 鳥居の外に広がる海の向うに日は沈んで行きます。 夕闇に家路を急ぐ参拝客にぶつかりながら、 何とか杖を頼りに立ち上がった弱法師に、 通俊はついに名乗って再会を果します。

この曲の作者は世阿弥の跡を継ぎながら、 三十半ばで急死した十郎元雅です。 この背景には何かが秘められているようです。 通俊が讒言した者を「さる人」と言うのは、 その人の身分が高いことを思わせます。 おそらく、 この作品は元雅の死の一年前に作られています。

梅の花にはまだ早いかも知れませんが、 春を待つ一日、 是非能楽堂へ足をお運び下さい。

チケット等お問合せ先
TEL&FAX  042-550-4295 ナカショ
nakashonobuo@nohnokai.com

2018年8月24日金曜日

9月17日(月祝) 「放下僧」 のご案内


舞台のご案内を申し上げます。

9月17日(月祝)に緑泉会例会にて「放下僧(ほうかぞう)」を致します。4月18日還暦記念の「卒都婆小町」で一区切りをつけ、この舞台からまた新たな一歩を踏み出します。






「放下僧」は敵討ちの曲です。
しかし他の多くの敵討ちの曲とは異なり、芸尽しを主眼としています。しかもその「芸」がよく分らないのが面白いという、とても変な曲です。

まづ前段で兄を敵討ちに誘う弟が、中国の故事を語るのですが、本来は敵討ちとは関係のないお話を、むりやり孝行譚に仕立てています。そして後段前半の仇に取り入るための禅問答は、何しろ禅問答ですからわけがわかりません。仇に近づいてから座興で舞う曲舞も、禅問答の続きみたいです。
しかし、それらをさも意味があるかのように演じる設定になっていて、能の演出とも言うべきしかけが、大きな力を発揮しています。

そして、お腹の前につけた鼓を打ちながら舞う「羯鼓」があり、続いて都の名所を謡い込んだ「小歌」の舞になります。この小歌は上べは名所尽しと見えて、実は裏に大変卑猥な内容を隠しており、それに気がついた仇が思わず笑い転げてしまいます。

世阿弥の美意識にこういうものはありません。しかしこの曲は、舞の美しさよりも、劇的な展開を指向したひとつの傑作です。

その笑い転げた隙をついて敵討ちを成就するのですが、その場面、仇役のワキは笠を残して退場し、その笠を仇に見立てるのも面白い演出です。
最後に「名を末代に留めけり」とありますが、シテの牧野某もワキの利根信俊も、それらしいモデルは実在しません。

いろいろ不審なことが多いこの曲ですが、私にはこのシテの舞姿に、嘉吉の変で赤松満祐が将軍義教を討つ時に、舞台で「鵜羽」を舞っていた音阿弥の姿が重なって見えるのです。音阿弥は最大の庇護者よりも、佐渡にある世阿弥を思って芸の限りを尽したのではないか。とすればこの曲は、人を殺すために芸の力を使ってしまったことに対する禊の曲なのかもしれません。

如何なる次第になりますか、是非見届けて頂きたく、ご案内申し上げます。

2018年4月5日木曜日

卒都婆小町について


『卒都婆小町』は、世阿弥の父の観阿弥の作品として伝えられていますが、シテの登場の場面などは、多くの世阿弥の作品の持つ味わいに近く、「世子六十以後申楽談儀」にも、もっと長かったものを世阿弥が切り詰めたと書かれていますので、かなり世阿弥改作の手が施されていると思われます。その結果、観阿弥の劇的興趣と世阿弥の世界観の深さが、絶妙に交じり合う傑作として、今私達の前に伝えられています。

以下は、当日のパンフレット用に書き始めたのですが、パンフレットには字数制限がありますので、それをもう少し詳しく書きました。かなり長いですが、おつきあいいただければ嬉しく存じます。


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「卒都婆小町」鑑賞の手引き


    あらすじと言うには詳し過ぎ、
    現代語訳と言う程詳しくなく、
    勝手な解釈も交えた演能メモ


高野山の二人の僧(ワキとワキツレ)が都へ上ろうとしています。「山は浅きに隠れ家の。深きや心なるらん。」(世俗を離れて隠れ棲むについては、山に籠って修行をしても山の深さは問題ではなく、心の深さが問題です。)と、仏縁を喜び悟りを目指して修行に励む徳の高い僧のようです。この僧が世俗の中心たる都へ上るのですから、何か相当のことがあるのかも知れません。そのあたりは各自で想像してみましょう。
それにしても「生まれぬ先の身を知れば」以下、(縁あって人間としての生を得た今だけれど、その生を得る以前の事を感得してみれば、全てが一つであり、親だとか子だとかの区別も溶解してしまう。)と述懐する僧の徳の高さは相当なものだと思えます。
       
一方、一人の年老いた乞食女が、何のためかわかりませんが、こちらも都を目指して歩みを進めています。この登場は老女物独特の約束事と位取りがあり、重厚な雰囲気に包まれます。杖なしでは十分な歩行もままならない窶れ果てた老婆ですが、その実かつては宮廷の耳目を恣にした小野小町です。そういう演劇的な難題を、能では型の伝承として解決している、言葉を変えれば、能の修行を怠らずに続けて行けば、その難題をある程度越えて行くことが出来るわけです。

さて登場して来て「身は浮草を誘う水。なきこそ悲しかりけれ。」(昔、文屋康秀と言う人が三河へ下る時に、私はもう既に年寄りになっていたのをからかって、「三河へ一緒に下ってください。」と言うので、「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘う水あらばいなむとぞ思う」と歌を返して、こちらも鼻であしらったことがあったけれど、今ではそんな風に私を誘う水さえもない。悲しい悲しい。)と嘆いています。
昔は美しいともてはやされて華やかな一時を過したけれど、今は自分を恥じながら都の周辺を行き来しています。
「月もろともに出でて行く」以下、
(月が東から西へ行くのと一緒に、私も東から西へ都を目指して行きます。雲の彼方の内裏の人々も、その大内を山守のように守っている取り巻きの公卿たちも、この哀れな身を見咎めたりはしないでしょう。まして木の陰に隠れてしまえば月明りも届きません。おお。あの辺りに鳥羽の恋塚があるはず。あそこには無体な男の誘いを撥ね除けきれずに自分を殺させた、袈裟御前の霊が眠っている。その北には鳥羽離宮の秋の山が見える。さらにその北を見れば桂川の流れに舟が浮かんでいる。懸命に舟を漕がせて過ぎて行くけれど、乗っているのは誰なのかしら。)
と一つ一つの情景に心動かせながら歩んで行きます。

さてこの乞食の老女、疲れて朽木に腰をかけて休むのですが、その朽木は卒塔婆でした。

東からやってきた老女と南から来た僧が出会います。
実はこの出会いの場所が不明なのです。世阿弥の改作で省略された部分があると思いますが、それはこの曲の鑑賞とは直接関係ないので、別の機会に譲ることとします。小町の時代にはなかったはずの、鳥羽離宮の秋の山が出てくることも気になります。

僧は乞食が卒塔婆に腰掛けて休んでいるので、説教して退けようとします。
少し長いけれどこの曲の大切な部分です。詳しく辿ってみましょう。

僧「これこれ。あなたが腰をかけているのは、勿体なくも卒塔婆ですよ。他の所で休みなさい。」
老女「そんな有り難そうに仰いますが、ただの朽木にしか見えません。」
僧「山奥の朽木でも花が咲けばそれと分る。まして仏の形に刻んでいるのだから、ただの朽木のわけはないよ。」
老女「花と言うなら私だって、山奥の朽木みたいになってしまっているけれど、まだ心に花はあるのです。だから私が腰をかけていると言うことは、花を手向けているのと同じです。
ところで卒塔婆が仏の形だと言うのはどういうわけですか。」
従僧「金剛薩埵が大日如来のために姿を変えて、三摩耶形(さまやぎょう)を行っているのが卒塔婆なのだ。」
老女「その行いによって作った形はどんなものですか。」
僧「地水火風空ですよ。」
老女「それはこの世界を構成する五大ですね。それを輪塔にして五輪と言うのは知っています。でも五輪って人の頭と両手両足のことですもの。私と卒塔婆と区別があるなんて変ですね。」
従僧「五輪という形は同じかも知れないが、そこに宿る心と、それによってもたらされる功徳が違うのだよ。」
老女「それでは卒塔婆の功徳って何ですか。」
僧「一見卒塔婆(卒塔婆を一見すれば)永離三悪道(永く三悪道を離れる)と言います。」
老女「よく言われますね。でも一念発起菩提心(一念発起して菩提心を育む)とも良く言われていて、これもとても大切です。それならば私だって負けていませんよ。」
従僧「菩提心があると言うなら、 どうして出家しないのでしょう。」
老女「姿形で出家するのではありません。心の中で俗世を厭っているのです。」
僧「心の中で厭っていると言うけれど、そのような心がないから卒塔婆が仏体だと知らなかったのではありませんか。」
老女「おや、いつ私が知らないと言いましたか。仏体と知っていればこそ卒塔婆に近づいたのですよ。」
従僧「ではどうして敬いもしないで尻に敷いているのでしょうか。」
老女「卒塔婆だってこうやって寝ているのですから、どうして私が休んでいけないことがあるでしょう。」
僧「それは仏の教えに素直に従う態度ではないですね。」
老女「でも教えに背いてもそれは逆縁となって成仏の種となるのでしょう。」

ああ言えばこう言う問答で、少し屁理屈っぽいけれど、最初侮ったこともあり、二人の僧はとうとう老女に同調してしまいます。以下三人が交互に言葉を継いで行きます。

(仏陀を苦しめた提婆達多の悪も、試練を与えた観音菩薩の慈悲に他ならず、仏弟子の槃特の愚かさも、熱心な学びの心を引き出す文殊菩薩の知恵なのです。悪は善であり、煩悩は菩提です。菩提と言っても植木のようにそこに形としてあるものではありません。同じように、全てを映す鏡と言っても台に据えられてあるものではありません。真に本来世界は無であり、一つ一つの物が別々にあるのではありません。ですから仏も衆生も同じ一つのものなのです。)
いやいや老女に合わせて語り始めたら大変なことになって来ました。事は仏の教えの深淵に及んでいます。ただの乞食と侮っていたのを恥じる心もあるのかも知れません、高野山で修行を積んだ徳の高い僧二人が、乞食の老女を思わず三拝するのです。

力を得た老女は
「極楽の内ならばこそ悪しからめ外は何かは苦しかるべき(ここが極楽だったら悪いかも知れないけれど、外だから何も差し障りはないはず)」
と戯れ歌を読んで、やっと立ち上がります。

帰ろうとする老女に素性を尋ねると、小野小町のなれの果てであると聞かされ、僧は聞き及ぶ小町の美しさを並べたてるのですが、目の前の小町は衰え果てた姿です。地謡によって謡われる有様は真に痛ましく、小町は思わず恥じて顔を隠します。

いったいどうやって日を送っているのか尋ねる僧に、
「背中の袋に粟豆(ぞくとう)の乾飯(かれいい)を入れている他、着替えやくわいなどを持ち歩き、破れ蓑と破れ笠で身を覆うのですが、顔さえ隠しきらない有様なので、霜雪や雨露の時などは、とてもつらい思いで徘徊しています。往来の人に物乞いをするのですが、何もくれなかったりすると悪心が湧きおこり、物狂おしい気持になって・・・。のうお恵み下さい、お坊さま。」
と身の上を物語るうちに物憑きの様を見せます。

「小町という人は、罪深いほど美しい上に、度重なる文にも一度の返事もない奢りゆえ、今百歳の老残を晒すはめとなりました。それにしても何とも人恋しいことです。」
憑依したのは深草の少将でした。
毎夜毎夜小町の元へ通う少将。夕暮れともなれば諫める人がいても、とても止めることは出来ません。
いつしか(舞台奥の後見座で装束を変え烏帽子を冠ります)老女の姿に少将の出で立ちが重なり、その百夜通いを僧の面前に再現します。

白い袴の裾を取り、立烏帽子だと身分が分るので風折れに折って、狩衣の袖を被って人目を忍び、月夜でも闇夜でも雨の夜も風の夜も通って行く。落葉が時雨のように降っても、雪の深い日も・・・。見れば軒から雨垂れがとくとくと落ちている。それが「疾く疾く(早く早く)」と急かしているよう。行っても会えずに帰り、帰ればまた行く。ひと夜ふた夜と数えてみれば今日が九十九夜目。やれ嬉しやと思うなり眩暈に襲われ、そのまま亡くなってしまった。
その深草の少将の怨念がこの小町に憑いているのです。

すっかり語り終えた少将は小町から離れます。
小町は、後世の平安を願って日々を送るように諭され、教えられた通り、毎日小さな善行を積み重ねて徳を磨き、花を仏に手向けつつ余生を送ります。小町はやがて悟りの道へ至り、感謝の心を合掌の姿に表して、一曲の終りとなります。

舞台からシテの老女が退場します。これは既に僧と問答をしていた小町ではありません。その後善行を積み重ねて菩提の道を辿って行く小町かも知れません。或いは、もう死んでしまって浄土へ昇って行く魂かも知れません。見所の皆様がそれぞれに何かを感じていただければと思います。
シテとは離れてワキとワキツレが退場します。現実には小町と出会った日から何日も過ぎてしまっているのかも知れません。世俗の坩堝である都へ上ろうとしていた二人の僧は、小町と別れた後、どのように修行を続けて行くのでしょうか。
一曲の始めから能の場を立ち上げてきた囃子方が退場します。笛、小鼓、大鼓の順に登場と同じ順番で退場して行きます。合わせて地謡も退場し、舞台は空となります。
何もなくなった能舞台に何かを感じていただければ、演者としてはとても嬉しく思います。