2016年3月7日月曜日

福島・安洞院鎮魂能楽らいぶ『中尊』 ご挨拶

 3月11日『中尊』公演のために書いた「ご挨拶」の文章です。
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ご挨拶

能は中世において様々な鎮魂を意図して成立した芸能です。原発事故三年目にあたる一昨年、私はこの度の災厄に傷ついた魂を鎮めたいと思い、能『中尊(ちゅうぞん)』を創作しました。

鎮魂の方途を探る中、石牟礼道子さんの詩「花を奉る」を知り、この詩を能に仕立てることでそれが可能になるような気がしました。被災者の声を聞き集める和合亮一さんをモデルにワキを配し、シテの女性に「花を奉る」舞を舞わせ、それを八百年の時を超えて復活した中尊寺蓮の物語でつないだのがこの一曲です。

「中尊」という曲名は、復活の蓮が中央に対する東北の歴史そのものを象徴していることから名付けました。中尊寺の寺号そのものが謎なのですが、『法華経』「序品」にある「人中尊」に依るとも説明されています。「人は皆、自らの中に仏様となる尊いものを持っている」意であるとすれば、それはまさに「個人の尊厳」に他なりません。先人の掲げた「中尊」の言葉の中に、個人の尊厳を求めて進むべき「花あかり」を求めるのです。

今日という日にこの地でこの作品を演じることを厳粛に受け止め、先に逝った方々と残された方々のために蓮の一輪を捧げたいと思います。

中所 宜夫
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つい先日のことですが、村松恒平さんのメルマガで、「個人の尊厳」と四つの虚無についてとても素晴しい文章がありました。FBでも公開していましたので、ご興味のある方は是非お読み下さい。
それに時を置かずにこの文章を書いていて、私自信が『中尊』=「個人の尊厳」だったことに改めて気がついた次第です。

2016年2月27日土曜日

3月11日の鎮魂能楽らいぶ『中尊』を福島にて

二年前に創作した能『中尊』を3月11日に福島のお寺・安洞院の本堂で小規模ながら致します。


安洞院の横山俊顕さんは、昨年お父様の後を受けてご住職になられました。俊顕さんとの出会いは平成12-3年頃に岐阜県多治見市で催した「能楽らいぶ『融』」の時です。源融の歌「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」は有名ですが、横山さんの安洞院はすぐお隣にある文知摺観音を管理なさっていて、融のお墓を京都の清涼寺から分けてもらい、融が陸奥国の按擦使で赴任した際に地元で見染めたと伝えられる虎女と二人のお墓を並べてお弔いしている、そういうご縁で、福島からはるばる岐阜の多治見までいらしていたのです。

『中尊』のワキの詩人のモデルである和合亮一さんとの出会いもこの安洞院でした。
俊顕さんとのご縁により平成17年に『融』の能楽らいぶをやり、翌18年に『光の素足』をしたのですが、らいぶの導入部で童話「ひかりの素足」の朗読を安洞院の檀家である和合亮一さんに、朗読に挿入しての如来寿量品の読経を俊顕さんにしていただきました。

『中尊』は一昨年の九月に盛岡の一ノ倉邸での「中尊寺ハスを愛でる会」で初演しました。八月に一ノ倉邸に行き、中尊寺蓮のお話しを伺い、それまで震災の鎮魂を能でやらなければと、石牟礼道子さんの詩「花を奉る」だけ抱えて、気持ちばかり前のめりになっていた私に一つの道を与えてもらいました。その後の僅かの期間で辛くも作り出された作品です。
震災後三年の段階での曲であり、今回は舞台も変る事もあり、少し改作しなければいけないと思っていたのですが、稽古をしてみるとこれがなかなか直し様がないのです。一度作り上げて世に送り出した作品と言うものは、なかなか自分の思うようにならないものです。

『中尊』はこれまで4-5回の「能楽らいぶ」公演を行っています。今回は、能楽らいぶに「鎮魂」の場を与えられた事を期に、始めて面装束を着けて公演致します。






























2016年2月26日金曜日

『葛城 大和舞』を前に

2月28日(日)若竹能で『葛城 大和舞』を致します。今日(26日)申合せを既に終え、愈々本番を待つばかりとなっています。

『葛城』についてはこのブログに以前にも書きました。今回「大和舞」で再演するに当りますますこの曲が好きになりました。「役行者に縛めを受ける神様」、「人間なのに」などと思っているとこの曲は見えてこないのではないでしょうか。

「日本霊異記」などで語られる葛城明神の説話は、作者(おそらく世阿弥)にとってはこの能を具体化するための種の一つにすぎません。大和猿楽の者たちが奈良盆地に一座を構え、日々芸の研鑽を積んでいる時、南を見ればそこにはムックリと葛城山が聳えていました。吉野へ頻繁に通う際には葛城山の麓を通り抜ける、つまり最も親しみを感じる故郷の山だったと思います。
そしてそこには既に滅んでしまった大和舞の伝承がありました。芸能を伝える者として、神代に盛んに行われていた霊力を秘めた舞こそが、作者の目的だったのでしょう。「しもと結ふ葛城山に降る雪の間なく時なく思ほゆるかな」と言う古今集の「ふるき大和舞のうた」と題された歌を頼りに、その大和舞を復活させる、いや具体的なことは何もわからないので舞そのものではなく、舞の霊力を復活させる、そんなことを世阿弥は考えていたのではないでしょうか。

三代将軍義満が微妙ながらも作り出した平安の世を、何とか維持しようとする四代将軍義持。その下で世阿弥は芸能による平安の確立を本気で指向しました。私は世阿弥が芸に向う姿勢に、例えば禅の悟り、世俗に隔絶した修道僧たちなどと同じものを感じるのです。「歌舞の菩薩」と言い、芸を極める事で菩薩となり衆生を救済しようとするのです。平安の世の危うさを古い神の力、芸能の力で維持しようとする、その為に故郷の山に眠る神を縛めから解き放つこの曲を作ったのです。

一月の舞台より

去年は『誓願寺』と『唐船』の二番の能をしたのですが、今年は当たり年とでも言うのでしょうか、一月中に羽村市で『敦盛』(装束を着けての一部上演)をし、このブログでもご案内した相模湖能で『羽衣』を致しました。さらに二月に『葛城 大和舞』、五月に『葵上』、九月に『楊貴妃』、十一月に『光の素足』の他、三月十一日に福島での鎮魂能楽らいぶ『中尊』、その他未だ日程のはっきりしない催しもあります。いったいどうしてしまったのでしょう。
でも、一番一番に稽古を尽して行くのみです。何卒宜しくお願いします。

さて、今日は少し時間が出来たので、一月の舞台の写真を整理していました。

気に入った写真をご紹介して、催しのご報告とさせていただきます。

まづは羽村市ゆとろぎでの『敦盛』より。

 十六歳で一の谷の合戦で討たれた平敦盛の亡霊です。この催しは面打の新井達矢さんの仮面展との連動企画で、使用の能面も新井達矢作の「十六」です。

























次は、相模湖交流センターでの相模湖能『羽衣』。

羽衣を返してもらえず悲しむ天女と、返してもらった羽衣を身に纏い舞う天女です。

面はこれも新井達矢作の「小面」です。























写真はいずれも芝田裕之氏の撮影です。

2016年1月4日月曜日

ふたたび「羽衣」公演のご案内

新春にふさわしい能『羽衣』を相模湖能で致します。

中央線終点の高尾で乗り換えてわずかひと駅の相模湖駅から、冬枯れの里山の姿を眺めながら歩いて十分、小さな湖を堰き止めているダムの傍らに、会場となる相模湖交流センターはあります。ここのホールは音響の良さで知られ、世界的な演奏家がここを指定してレコーディングするという、隠れた名ホールです。

羽衣をめぐる漁師と天女の物語は、白鳥伝説として東アジア各地に伝えられています。能『羽衣』は駿河国風土記を下敷きに、能作者の様々な想いを詰め込んで、美しい詞章と分かり易い筋立てで、現在最も人気のある曲の一つです。

私見では、この曲は能が現代まで伝承されるに至る重要な鍵を隠しています。能をご覧いただく前にそのあたりを少しお話し致します。

どうぞ睦月晦日に都会の喧騒を離れて、幽玄のひとときをお楽しみ下さい。


2015年12月18日金曜日

『羽衣』を舞います

来春の演能のご案内です。相模湖交流センターで『羽衣』を舞います。最初に作品についてのお話をして、休憩の後に能を舞うと言う企画です。能を舞う前にお話をするなど、本来は避けたいのですが、羽衣は一寸特別なのです。
何がどう特別なのかは当日のお楽しみとして、 以前にも載せた文章ですが、 羽衣のあらすじを再掲します。
ところでこの会場となる相模湖交流センターは、 高尾駅からひと駅ですので、 それ程遠くありません。 是非お出かけ下さい。





〈羽衣のあらすじ〉
 春爛漫。早朝の三保の松原に強い風が吹いて、漁師たちは騒がしい。
 白龍(はくりょう。ワキ)もその中のひとり。白い砂浜に松原が続き、朝霞に月が浮んでいる。風月を愛でるなんて漁師の柄ではないけれど、この景色の美しさには心奪われてしまう。まして西の方から清見ケ関を越えて来て、海を挟んでこの三保の松原を眺めたら、その美しさはとても忘れられるものではない。急に風が変って波が荒くなるように見えるけれど、春にはよくあることで、すぐ穏かになる。
 まだ小舟が多く浦に残っている中、早々と浜に上った白龍は、あたりの異変に気付き、松の枝にかかる美しい衣を見つける。拾って持って行こうとする白龍を呼び留めた美しい女は、自分が天女であることを明かし、その衣がなければ天上界に帰れないのですと、嘆き悲しむ。
 その姿の哀れさ、美しさに打たれた白龍は、天人の舞楽を聞かせてもらう約束をして衣を返す。少し疑う気持ちもあったが、「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを。」と天女の声がご託宣のように響いて、とても逆らうことなど出来ない。
 衣を身に纏って天女は舞う。〈次第〉から始まり〈クリ〉〈サシ〉〈クセ〉と続く曲舞は、「東遊びの駿河舞。この時や始めなるらん。」と駿河舞の起りを説き起す形で語られて行く。
 「永遠不変の天上界から、陰陽の二神イザナギとイザナミにより十方世界が分かれ、そのひとつの月の宮殿では、白衣の天女と黒衣の天女が十五人づつに分れて、満ち欠けを司る舞を舞っている。その私の舞を今この地に因んで駿河舞と名付けてこの世界に伝えましよう。」
 この三保の松原の春の様子は天上の世界にも劣らない美しさ。そこに天女が舞を舞うと、自然の音も天上の音楽と聞こえ、落日の輝きも命の甦りを暗示しているようだ。
 舞は永遠に続くかのように思われたが、天女の姿は空に上り、地上に祝福を与え、遥か富士の高嶺を目指して姿を消す。
〈あらすじ終り〉


2015年10月15日木曜日

オトダマコトダマ〜阿吽〜

この月を跨ぐ再来週末の催しです。
この作品がどんなものかお話するのはとても難しいのですが、一昨年にくにたち芸術小ホールの企画公演として初演してから、相馬市、豊橋市と舞台を重ね、その度毎に高い評価を頂戴しました。
今回もくにたち芸術小ホールの企画による再演です。これは一昨年の舞台を評価して下さっての事と思います。そして、今回は再演としてのグレードアップを要求されました。
前回は紋付袴での舞でしたが、今回は面装束を着けての舞台になります。地謡も加わって頂く事になりました。
前半の詩人は、私の顔をそのまま面とする、直面(ひためん)で致しますが、後半の精霊をどんな姿で舞うのか、この部分は石牟礼道子さんの詩「花を奉る」を能の形式に仕立てたのですが、なかなか迷う処です。
今現在、一応の心積りは出来ていますが、さてどんな姿となりますか、どうぞ楽しみにして下さい。