今週の土曜日に、八月に九皐会で致します『唐船』についてお話致します。「第二回能楽談儀の会」。7月11日(土)午後2時から、於 くにたち・松陽閣。参加費三千円です。
2015年7月6日月曜日
2015年6月26日金曜日
村松恒平さんのシンクロームについて。そして「啓示」。
六月十四日に『誓願寺』の舞台を終え、次の舞台の案内もしなければいけないのですが、その前に舞台直前に受講した、村松恒平さんのシンクロームのワークショップについて書いて置きたいと思います。早や二週間。随分前の事の様な気がします。
シンクロームは「私」と「体」を分けて考える処から始まります。
しかしこれは考えるまでもなく、皆が身体を意のままにならないものと思っています。別のものと認識した上で、「私」が「私の身体」を制御している、その制御の仕方について考えてみようと言うのが、シンクロームの始まりではないかと思います。
ワークショップは、私たちの認識が如何に世界を限定的に見ているかと言う処から始まり、その限定を解除すると今まで出来なかった事が可能となる事を示唆して、「内臓ダンス」に進みました。
普通私たちは、内臓は制御出来ないと考えていますが、実はそうでもないと教えてくれます。
最初に肺を動かしますが、肺は呼吸によって割と意のままに動かす事の出来る臓器でしょう。それでも普通の呼吸法とは異なり、臓器としての肺の動きを感じる事が出来ました。
次の肝臓は物言わぬ臓器と言われるそうですが、この肝臓のダンスは驚きでした。目を閉じて言葉に導かれ、音楽を聴いているうちに、肝臓と思しき身体の内部が音楽に合わせて活発に動き始めるではないですか。身体もつられて動き始めているのがわかります。動きを意識していてはとても出来ない様な軽快で複雑なダンスを踊っていました。
「意識」と言うものはなかなかやっかいなもので、身体を駆使する技術を磨くには意識が必要ですが、いつまでも意識が残っていては駄目で、意識せずとも出来るようになってこそ技術として使い物になります。しかし、すっかり身についたはずの技術も、何かの拍子で意識が戻ってくると、途端に危ういものになってしまう事がしばしばあります。
今「意識」と言いましたが、村松さんはこの曖昧な言葉を敢えて避けているようです。代わりに使う言葉は「言葉」です。「私」と「身体」の間にあるものを、イメージ・シンボルとしてそれを「言葉」で動かしてやるのだそうです。肝臓のダンスは当にそれでしょう。
「私」と「身体」の間にあるもの。村松さんはそれを「磁気ボディ」と名づけました。
一粒の種から植物が育つ。一個の受精卵から人間となる。種、卵である段階で既に設計図が出来上がっています。その設計図は何でしょう。普通はDNAだと答えるでしょう。しかし、DNAはその設計図の物質的側面でしかないと村松さんは考えます。磁気ボディにその設計図は描かれています。磁気ボディは、身体=自然と私=言葉とを繋いで影響を与えています。
健康な時、磁気ボディは身体とシンクロしています。このシンクロが破れた時、身体は不調となり病気となります。本来、磁気ボディは身体を良好に保とうとしています。その本来の働きを阻害するものを取り除いてやれば、身体は自然に治ってしまいます。
さてこの「磁気ボディ」です。気功法における「気」とも少しずれています。気は磁気ボディが身体を正常に保つために働かせる道具ということになるでしょうか。気功法の世界では、その効能ばかりが喧伝されて、その背後にあるものに対する理論的な探求が少ないように思えます。いや、むしろその効能が余りにも強力なので、その制御法に忙殺され、その原理については安易に触れるべきではないとしている様に思えます。磁気ボディの考え方からすると、気功法は使い方によっては自分を傷つけてしまうかも知れない非常に強力な道具を正しく使うための方法を、暗闇を手探りで探るようにして獲得してきたということでしょうか。
村松さんのお話の中で非常に印象的だったのは、西洋医学の薬は勿論、漢方も気功法もシンクロームからすれば強過ぎると言う言葉でした。
シンクロームでは身体の不調を回復するために、本来シンクロするはずの磁気ボディと身体との間に詰まっている障害物を取り除く、と言うことをします。具体的には患部に狙いを定めてネジを抜くように手を動かします。実はこの部分が私はよくわからない。何故ネジを抜くのか。「螺旋状のエネルギー」と言う言葉があり、その時点では何となく了解したのですが・・・。
さて、以上のようなまとめを書こうとしていた時に、昨日(平成27年6月25日)村松さんが「啓示」を受けたとのFBへの投稿がありました。以下に全文を掲載します。
実はこの文章を読む前に、私は上でのまとめとして、「磁気ボディは無意識の領域の一番浅い領域で身体を司っているものなのだろうか」と書こうとしていました。しかし、ここには「意識という言葉は多義的だが、これ(=磁気ボディ)が最も深い定義となる。」の一文があり、村松さんは磁気ボディを意識領域内の事と考えているようです。
この「啓示」については、またいつか改めて書くことになると思います。
シンクロームは「私」と「体」を分けて考える処から始まります。
しかしこれは考えるまでもなく、皆が身体を意のままにならないものと思っています。別のものと認識した上で、「私」が「私の身体」を制御している、その制御の仕方について考えてみようと言うのが、シンクロームの始まりではないかと思います。
ワークショップは、私たちの認識が如何に世界を限定的に見ているかと言う処から始まり、その限定を解除すると今まで出来なかった事が可能となる事を示唆して、「内臓ダンス」に進みました。
普通私たちは、内臓は制御出来ないと考えていますが、実はそうでもないと教えてくれます。
最初に肺を動かしますが、肺は呼吸によって割と意のままに動かす事の出来る臓器でしょう。それでも普通の呼吸法とは異なり、臓器としての肺の動きを感じる事が出来ました。
次の肝臓は物言わぬ臓器と言われるそうですが、この肝臓のダンスは驚きでした。目を閉じて言葉に導かれ、音楽を聴いているうちに、肝臓と思しき身体の内部が音楽に合わせて活発に動き始めるではないですか。身体もつられて動き始めているのがわかります。動きを意識していてはとても出来ない様な軽快で複雑なダンスを踊っていました。
「意識」と言うものはなかなかやっかいなもので、身体を駆使する技術を磨くには意識が必要ですが、いつまでも意識が残っていては駄目で、意識せずとも出来るようになってこそ技術として使い物になります。しかし、すっかり身についたはずの技術も、何かの拍子で意識が戻ってくると、途端に危ういものになってしまう事がしばしばあります。
今「意識」と言いましたが、村松さんはこの曖昧な言葉を敢えて避けているようです。代わりに使う言葉は「言葉」です。「私」と「身体」の間にあるものを、イメージ・シンボルとしてそれを「言葉」で動かしてやるのだそうです。肝臓のダンスは当にそれでしょう。
「私」と「身体」の間にあるもの。村松さんはそれを「磁気ボディ」と名づけました。
一粒の種から植物が育つ。一個の受精卵から人間となる。種、卵である段階で既に設計図が出来上がっています。その設計図は何でしょう。普通はDNAだと答えるでしょう。しかし、DNAはその設計図の物質的側面でしかないと村松さんは考えます。磁気ボディにその設計図は描かれています。磁気ボディは、身体=自然と私=言葉とを繋いで影響を与えています。
健康な時、磁気ボディは身体とシンクロしています。このシンクロが破れた時、身体は不調となり病気となります。本来、磁気ボディは身体を良好に保とうとしています。その本来の働きを阻害するものを取り除いてやれば、身体は自然に治ってしまいます。
さてこの「磁気ボディ」です。気功法における「気」とも少しずれています。気は磁気ボディが身体を正常に保つために働かせる道具ということになるでしょうか。気功法の世界では、その効能ばかりが喧伝されて、その背後にあるものに対する理論的な探求が少ないように思えます。いや、むしろその効能が余りにも強力なので、その制御法に忙殺され、その原理については安易に触れるべきではないとしている様に思えます。磁気ボディの考え方からすると、気功法は使い方によっては自分を傷つけてしまうかも知れない非常に強力な道具を正しく使うための方法を、暗闇を手探りで探るようにして獲得してきたということでしょうか。
村松さんのお話の中で非常に印象的だったのは、西洋医学の薬は勿論、漢方も気功法もシンクロームからすれば強過ぎると言う言葉でした。
シンクロームでは身体の不調を回復するために、本来シンクロするはずの磁気ボディと身体との間に詰まっている障害物を取り除く、と言うことをします。具体的には患部に狙いを定めてネジを抜くように手を動かします。実はこの部分が私はよくわからない。何故ネジを抜くのか。「螺旋状のエネルギー」と言う言葉があり、その時点では何となく了解したのですが・・・。
さて、以上のようなまとめを書こうとしていた時に、昨日(平成27年6月25日)村松さんが「啓示」を受けたとのFBへの投稿がありました。以下に全文を掲載します。
【反重力の啓示】
難解であろう啓示を書く。
*
……。
今日、奇妙な啓示があった。
奇妙と書いておくが、既成概念の枠内にあり、位相的にもズレていないものは啓示の名に値しない。
したがってあらゆる啓示は奇妙なのだ。
その啓示は、以下である。
「人の身体は反重力装置だ。解明されている力学の範囲内でもあらゆる創造がなされているが、未知の力学においても完全に反重力のシステムが組み込まれている」
これを証明するには、空中浮遊でもしてみせるしかないが、今のところできそうにない。
まず重力、地球の中心に落ちて行く垂線を正しく感じるところから始めないといけない。
この啓示は、次のような啓示とつながっていた。
「身体は意識が完全に規定する」
意識が変われば身体は変わるということだ。
たとえば、わたしたちは光を感じたい、色を見たいと思って眼を作り出した。
音を聞きたいと思って耳を作り出した。
香りを嗅ぎたいと思って鼻を作り出した。
味わいたいと思って舌を作り出した。
触れたいと思って指を作り出した。
意識自体が直接身体に作用するのではない。
意識は磁気的な偏在を作り出す。
磁気は次第に凝縮し、精度高く組織化されて、磁気の有機体を生み出す。
これをシンクロームでは磁気ボディと呼んでいる。
磁気ボディが物質的な肉体の設計図となり、物質的な要素を引き寄せる。
意識という言葉は多義的だが、これが最も深い定義となる。
磁気ボディは、DNAに先立つ。
DNAは、磁気ボディの可視化、物質化されたインデックス、スイッチボードである。
物質化されることによって新たな便宜が生じたであろうが、本質は磁気ボディにすでにある。
なぜならDNAもまた磁気ボディによって形成される。
逆ではない。
では、「意識を変えれば、身体を変えることができるか?」
当然可能である。
むしろ、「個人史的な時間で可能か、人類史的な時間が必要であろうか?」 と問うほうが実際的であろう。
この問いに答えるためには、
「そもそも意識を変えることは可能か?」
と問わなければならない。
あるいは
「いかにすれば意識を変えることが可能か?」
と問うほうがよりよいかもしれない。
以下の問いのほうがさらによいかもしれない。
「いかにすれば意識を本来のあり方に還すことができるか?」
このような派生的な問いをある程度解明すれば、問うべきは時間ではない、とわかってくるであろう。
実はこの文章を読む前に、私は上でのまとめとして、「磁気ボディは無意識の領域の一番浅い領域で身体を司っているものなのだろうか」と書こうとしていました。しかし、ここには「意識という言葉は多義的だが、これ(=磁気ボディ)が最も深い定義となる。」の一文があり、村松さんは磁気ボディを意識領域内の事と考えているようです。
この「啓示」については、またいつか改めて書くことになると思います。
2015年6月15日月曜日
「能は演劇ではない」と言うこと
昨日の『誓願寺』を見に来て下さった村松恒平さんが、フェイスブックに素晴らしい「能入門」を書いて下さっています。
能を観ると相変わらず眠くなる。
これはなんだろう、と昨日観ながら少しばかり考えた。
体感されたことを書くだけだが、ふだん身体のことを考えない人には難解かもしれない。
*
能は身体で観る部分が多い。
身体は言葉を理解しない。
言葉でなく、食物でなく、空気でなく、私たちが体内に取り込むもの。
それは印象。
言葉以前の印象とは何だろう?
それはもちろん言葉にすることができない。
言葉にした時点で印象ではない。
絵画の印象派は、言葉にせずに絵にした。
言葉よりはずっと近い。
印象派の印象を、視覚的効果に限定せずにとらえると、そこで受け取られるものには眼に見えないエネルギーがある。
能はそのエネルギーを観る。
エネルギー的に観ると言ってもいい。
*
私たちが観るという場合は、主体と客体が分かれている。
私という「主体」があって観る。
舞台、あるいは演者という「客体」があって観られる。
ところがエネルギーとしてとらえたときには、舞台から観客席が大きな水を張った「たらい」のようになる。
そのエネルギーのたらいが大きく波立つ。
波立つとき、私たちも「浮き」のように、その波と同期して上下する。
ここにおいて、私たちが一般的な演劇を観るときのような主体と客体の関係や視線は成立しない。
そのような主体を保とうとすると、眠くなる。
浮きの視点になって揺れながら観ている。
これに身を任せると、たいへん心地よい時間が訪れる。
これが昨日体感されたことである。
さらに観て行くともっと深い観点も出てくるかと思う。
私たちの一世代前の能楽師は敗戦を経験し、価値観が反転して行く中で、能が今後も活きた芸能であり続けるためには、どうあるべきかと言う事を切実に模索し、その中で観世寿夫先生を中心として「能もひとつの演劇である」として今日までの隆盛を築いて来たように思います。
一方私が多くの教えを乞うている江戸期の能装束を研究なさっている山口憲さんは、「能は演劇ではない」と繰り返し仰います。私自身どちらかと言うとこちらの方に心魅かれます。
私も一時期「能の新しい可能性を探る」と言っていた事がありました。しかし表面的な新しさは、能が能たる所以から外れて行くばかりで、そうして作られたものに余り魅力を感じないのです。
では「能が能たる所以」とはどういう事なのでしょうか。上の村松さんの文章はそこを直撃していると思います。眠たさについて考えてこの一点に至るとは、完全にしてやられました。
このブログで以前にも村松さんの事を書きましたが、その世界観の独自さに、新しい指標を私は感じます。
さらにコメントのやりとりの中にも次のような一文が・・・
能ははっきり動作していない時間がたくさんあります。そのときに象徴的な力が働くのです。人の身体は止まっているときにむしろ、震動しています。いわゆる波動を発していますね。この象徴言語を武士社会が理解していたということのようです。
コメントの前半部分は良く言われる事です。象徴言語と言うのは、普通の言語が音声によって記号化されているのに対し、「波動」によって内実を捕えることだと思います。さらに、もちろん「象徴言語」などと言う言葉は使いませんが、それを武士社会が理解していたという指摘は、江戸時代の武士にとって能は自分たちの存在の根源に関わる不可欠のものだったと言うことを踏まえた上でのことです。
私が書くと、今と言う視点から武家社会を見てしまうのに対し、村松さんの文章では武家社会の中から能を見ているような印象を受けます。
本文の最後で書かれているように、もっと能を見ていただいて、さらに深い視点を私達に示して欲しいものです。今後とも宜しくお願いします。
2015年6月2日火曜日
『誓願寺』を舞います
以前に『誓願寺』について書きましたが、いよいよ本番が迫ってまいりました。皆様是非お出掛け下さい。
◯6月14日(日)緑泉会例会 午後1時開演(会場 12時30分) 於 喜多能楽堂(目黒駅より徒歩7分)能 清経 鈴木 啓吾狂言 柿山伏 山本 泰太郎 仕舞3番能 誓願寺 中所 宜夫(誓願寺の始まりは、3時過ぎ頃)チケットのお申込みは私の方で承ります。
以前の記事にも書きましたが、私は世阿弥が初めて書いた複式夢幻能がこの曲なのではないかと考えています。それを意識して稽古をして来て、先日ふと思った事があります。
前段の夜念仏の場面、これは謡ではロンギと呼ばれる形式で、地謡とシテとの掛け合いが長々と謡われる場面です。
地「早や更けゆくや夜念仏の。聴衆の眠り覚まさんと。鉦打ち鳴らし念仏す一読して「ありがたや」が何度も出てくるのが印象的です。この中の二度目のシテ謡の中で初めての弥陀の國と言い、また往生の事を「涼しき道」と言っていますが、この辺りに世阿弥が得た神秘体験の痕跡を求めるのは穿ち過ぎでしょうか。
シテ「ありがたや五障の雲のかかる身を。済け給わばこの世より。二世安楽の國にはや生れ往かんぞ嬉しき
地「げに安楽の國なれや。安く生まるる蓮葉の台の縁ぞ真なる
シテ「ありがたや。ありがたや。さぞな始めて弥陀の國。涼しき道ぞ頼もしき
地「頼みぞ真この教え。或は利益無量罪
シテ「または余経の後の世も
地「弥陀一教と
シテ「聞くものを
地「ありがたやありがたや。八万諸聖教皆是阿弥陀仏なるべし。この御本尊も上人もただ同じ御誓願寺ぞと。佛と上人を一体に拝み申すなり
また、後段で長大な序の舞を舞った後に謡う言葉、
一人なお佛の御名を訪ねみん
各々帰る法の庭人
これを世阿弥の決意と読むと、宗教的高揚感だけではない、この曲の奥深さが出て来る様に思います。
さてさて色々と書きました。世阿弥は「秘すれば花」と仰っています。さしづめ私などは、何もかも喋ってしまう愚か者です。その愚か者の顛末。是非是非当日会場にて見届けて下さい。
2015年5月23日土曜日
北上・慶昌寺 花まつり能楽らいぶ
毎年六月の第一日曜日に岩手県北上市煤孫にあります慶昌寺で花まつりの御供養の後に「能楽らいぶ」をさせて頂いています。
今年は『敦盛(あつもり)』を致します。世阿弥の修羅能の名作で、非常に人気の高い曲です。この曲で世阿弥は修羅能を完成させたのだと思われます。
若い演者が演じる事の多いこの曲。私も独立して最初にシテをしたのがこの曲でした。今回は長男の真吾にシテをやらせ、私は地謡と蓮生法師を致します。
そして今回はトークゲストにたいわ士の南山みどりさんをお招きしました。「たいわ士」って何?と言う事から、能とたいわの共通点、さらにどうして『敦盛』が修羅能の完成なのかを、お話してみたいと思います。
ところで「たいわ」の中には胎話と言う事が含まれています。そう、南山みどりさんは胎児や赤ちゃんとお話が出来ます。当日の会場に妊婦さんや赤ちゃんがいたら、その実際が見られるかも知れません。
私に南山さんを紹介した知人の話です。
あるギャラリーに南山さんをお連れしたところ、そのスタッフの中に妊婦さんがいて、みどりさんはちょっといいですか、と断ってお腹に手を置くなり、「赤ちゃんがお風呂に入りたいと言ってます」と言ったそうです。スタッフ始め会場にいた人たち、騒然。聞けば、その妊婦さん、忙しくて面倒なので最近お風呂に入っていない、と言う話をしていたのだそうです。
さてさてこの話本当なのでしょうか。
みどりさんに、赤ちゃんの言葉はどう言う風にわかるのですか?と尋ねたところ、何となく浮かぶのです、と言うお答えでした。それだけならば、個人の特殊な能力とも、極端な話、作り話とも解釈出来るでしょう。ところがみどりさんは、プロのたいわ士養成と言う事をされている。私も少し探って(^^)みたのですが、これは素養のある人ならば修得可能な特殊技能と言う印象です。
上で言いましたこの「何となく浮かぶ」がキーワードです。能とたいわ、「何となく伝わる」、そして触れた人に癒しを施す。
故に『敦盛』!・・・
いやいや。ここから先のお話は是非当日会場で。って、私の思惑通りに話が進むかどうかは、わかりませんが、ライブと言うのはそう言うもので、だからその現場にいなければならない訳ですね。
皆様。北上の慶昌寺はとても行きにくい所ですが、それでも敢えてお誘いします。どうぞ6月7日午後2時始め、「花まつり能楽らいぶ」にお出かけ下さい。
2015年5月15日金曜日
紐育三日目「下駄!」
ツイッター、フェイスブックで書いていますが、紐育に来ています。
随時投稿していますが、偶々昨日の昼間はWi-Fiの調子が悪く、投稿しようとして出来なかったので、Textwell に書いておきました。
書き始めたら取り留めなくなり、クロイスターズの素晴らしさを書こうと思いながら、下駄の話題になってしまったので、取り敢えずこれをアップします。
五月十四日紐育三日目。クロイスターズ美術館に来ました。
昨日はメトロポリタン美術館の本館にいったのですが、当初から此方の別館を是非と人に勧められていて、今日が本命です。
宿泊の宿から本館へは歩いても行ける距離で、昨日は時差ボケもあって朝早く目覚めた為早くに出て歩きました。セントラルパークに着いてからは公園の中を彼方此方蛇行して、それでも一時間はかかりませんでした。午後三時からの稽古に備えて、昼過ぎまでの駆け足拝観でしたので、あまり確かな事は言えませんが、本館は玉石混交、浅いとは言いませんが兎に角広い。主にギリシャ、エジプト、東洋(中国・韓国・日本)と見ましたが、途中に通り抜けたアフリカの展示が面白く、エジプトは以前の大英博物館での感動に及ばず、ギリシャには仮面土偶とそっくりの人形があって少し面白かったけれど、中国の展示では何かの企画で、音楽を流したり、デザインドレスを着せた人形を展示品と並べたりして、どう言う意図があるのか測りかねるものでした。
帰りには地下鉄を初めて体験して、宿に帰りましたが、チケットの買い方が分からず、近くにいた方に教えてもらいました。
今日の別館は、少し遠い。宿から地下鉄を乗り継いで一時間程。でも課題を解決する順番としては、家から段々遠くへ行くと言う事で、無理のない選択でした。
此処クロイスターズ美術館は大変素晴らしい。時間をかけてやって来た甲斐がありました。
ところで此処に至るまで、私は何時も通りの着物に羽織袴、下駄履きで行動しています。まぁ色んな視線が飛んで来ますが、気になっていたのは、どうも皆服装よりも足元に目線が行くのですね。今日はこの公園の手前の駅を降りたところで、声をかけられました。足元を指して、快適か?痛くないのか?と聞いて来るので、流石の私にも分かりました。確かに色んな国の人がいて、私程変わった格好は少なくても、それには余り驚かない、けれど下駄は確かに日本でも履いて歩く人は殆どいませんから、目を引く(耳に障る?)のでしょうね。
序でに下駄について言えば、確かに凸凹の固い道を歩く時は、かなり気を使います。先日伊勢神宮に参拝した時には砂利道に苦労しました。しかし舗装の行き届いたところでは、雪駄や草履よりもうんと楽に歩けます。まぁ慣れが必要ですが。
運動工学の事はわかりませんが、靴での歩きは蹴り足が基本となる様に思います。下駄は倒れながら足を前に送って行きます。雪駄で蹴って歩くと固い地面に足裏が直ぐ痛くなってしまいます。蹴らずに歩けば良いのですが、その身体の使い方が下駄の方が楽なのですね。
2015年5月6日水曜日
『誓願寺』について
『誓願寺』と言う能があります。凡そ二時間を要する大曲の上に、例えば『野宮』も二時間に及ぶ大曲ながら、「源氏物語」中でも珠玉の名場面「賢木」の物語を背景に、六条御息所の美しい姿を描いて人気曲であるのに対し、その様な文学的情趣に乏しく、またワキに一遍上人、シテに和泉式部を配しながら、踊念仏の開祖たる融通無碍の魅力を描くでもなく、恋多き宮廷歌人の苦悩を描くでもない、つまり演劇としてこの曲を見た時、その構成に興趣をそそられない事などが相まって、長いばかりで退屈な能と言うのが、大方の評価かと思います。
しかし私は、世阿弥の創作過程を辿る上で、この曲を大変重要な曲と考えています。そして、何故世阿弥がこの曲を書いたのかを考えてみる時、この曲ならではの魅力が見えて来るのだと思います。
私は六月十四日(日)に緑泉会例会(於 目黒・喜多六平太記念能楽堂)でこの曲を舞います。本来ならば舞台の前にこの様な事をくだくだ書くのは本義に外れているのかも知れません。しかし短くもない二時間です。どんな曲か全然知らなかったけれど、舞台上のシテを観ているうちに語ろうとする事が分かり、その姿から目を離す事が出来なかった、と言う様な理想は未だ未だ先の事です。また何よりこの曲について、私の様な事を考える人も余りいないようですので、その辺りを少し書いておきたいと思います。
先づ、能『誓願寺』の概略です。
熊野に参籠し、夢の告を受けた一遍上人(ワキ)は、「六十萬人決定(けつじょう)往生」の御札を配ろうと都に上る。念佛の教えに多くの聴衆が集まる誓願寺。一遍から御札を受ける人々の中に、信心深げな気品高い一人の女がいる。札を見て「六十萬人しか往生出来ないのですか」と女が尋ねるのに、一遍は熊野の夢想で示された四句の文の頭の字が「六十萬人」なのだと答え、その子細を語る。
六字名号一遍法(南無阿弥陀佛の六文字で表される佛の名前は、それだけで一つにして普遍の世界の有り様を表している。)
十界依正一遍体(それが分かれば、この世界全体が一つにして普遍の存在であると感得する事になる。)
萬行離念一遍証(そうすれば全ての修行が雑念を離れ、世界が一つにして普遍である事を明らかにしてくれる。)
人中上々妙好華(この念佛行を行う人は、人の中でも上々の位の人であり、蓮の花の様な存在である。)
女は忽ちに了解し、一遍と共に教えを喜ぶ。やがて念佛は夜半に及び、法悦境も頂点に至るかと見えた頃、女は思わぬ事を口にする。
「いかに上人に申すべき事の候」「何事にて候ぞ」「誓願寺と打ちたる額を除け。上人の御手跡にて。六字の名号になして給わり候へ」。
余りの事に住処を尋ねる上人に、「わらわがすみかはあの石塔にて候」と答え、あれは和泉式部の墓だと聞いていますと言う一遍に、それこそが私の名前ですと答えて、石塔に寄って行く。俄かに石塔から光が射して姿を消す。
一遍が六字名号の額を掲げると、和泉式部が歌舞の菩薩として、二十五菩薩と共に現れる。辺りは清浄な光に照らされて、極楽世界のようだ。この誓願寺が極楽世界に変じるのは何の不思議もないのですと、式部は曲舞を謡い舞を舞う。
「此処は天智天皇の創建の尊い寺で、その上、ご本尊は春日明神がお作りになったもの。神佛の違いは水と波の様なもので、この日の本では春日明神が二人の菩薩の姿となってこれを作り、衆生を済度して下さるのです。つまりこの如来様は毎日一度は西方浄土に通って、死後の往生を約束して下さっているのです。
歌舞の菩薩が語る様は阿弥陀如来の姿と重なる様だ。
辺りには天上の歌が響き、尊き方々が来迎されている。昔お釈迦様は霊鷲山に一人いらしたが、今は有難い事に、西方浄土から阿弥陀如来が観音菩薩として様々な姿で衆生の前に現れて助けて下さる。この恩恵に浴する念佛の行者は、何の苦労もなく浄土に至り、その楽しみには限りがない。その道を辿っていると知れば、邪心の引き起こす迷いも無くなる。悟りを得る西方浄土も、この誓願寺からは遠くない。ただ心の持ち方一つで此処こそが浄土なのだと拝むのです。」
歌舞の菩薩が様々な佛事をなし、清浄の気が辺りに満ちる。暫しその法悦境に浸っていると、思いは現実世界に生きる自分に帰って来る。
其処で一人なお、南無阿弥陀佛と称えるのです。
その一人一人の称名の声が大きな響きとなり、虚空には天上の歌が流れ、甘やかな香りに包まれて花が雪の様に降る。菩薩たちは舞い乱れ、一遍上人の教えを讃えて、六字の額に礼を尽くす。
この誓願寺で繰り広げられたこの有様は、本当に得難く尊い、有難い事であった。
大変長くなってしまいましたが、お読みいただければ分かる通り、此処に恋多き女流宮廷歌人としての和泉式部の姿は全く描かれていません。和歌の一首さえ歌われないのです。
和泉式部をシテとするもう一つの『東北(とうぼく)』と言う曲は、明らかに、その奔放さ故に眉を顰めて語られるその人の生に、文芸者故の超越を重ねて、歌舞の菩薩としての美しい舞を舞わせています。二つの曲を比べて見た時、明らかに『誓願寺』が前で『東北』が後の作品です。一曲の構成や詞章の洗練もそれを裏付けています。
『誓願寺』は偶々誓願寺に和泉式部の墓と伝えられる石塔があったので、シテを和泉式部に設定したのであって、もし其処に清少納言の墓があれば清少納言をシテとしたと思われます。そう言う意味で、この曲の主眼はむしろ一遍上人に据えられていると言えます。
ところが一遍上人の生涯に目を転じれば、確かに三熊野での霊夢は時宗草創の一大画期ではありますが、御札賦算時の女信者との六十萬人問答や、和泉式部の幽霊との遭遇説話(この説話自体、本曲以後の創作である可能性も高いのです)などは、後々踊り念佛を創出した後の諸国遍歴の姿などに比べれば、さして魅力を感じません。作者の目は一遍上人の上にもそれ程の重きを置いていないのです。
それでは作者は本曲で何を描こうとしたのでしょう。それは私には、霊夢を得て己れの道を定めて歩き始めた者を、歌舞の菩薩が祝福する、その一事にあると思われます。
哲学者の井筒俊彦氏によれば凡そ東洋哲学に共通する神秘主義には、例えば坐禅による悟りや、神の啓示、霊夢などの神秘体験が実体験としてあり、また多くの優れた芸術家にもそれを窺わせるものが確かにあるとの事です。最近の人では宮澤賢治は当に神秘家でしょうし、古代では空海がそうでしょう。夢幻能を作り出した世阿弥がこれに列なるのは当然の事と思います。
観阿弥は非常に優れた役者であり劇作家でしたが、物狂いや神懸かりと言う現実世界の現象としてしか超越世界を捉えていません。世阿弥の天才と特異さはこの点にあります。
他でもない世阿弥が何処かで何らかの神秘体験をしたのです。歌舞の菩薩と言う存在を作り出す訳ですから、それは本番か稽古かはわかりませんが、舞を舞っている最中の事かも知れません。
それでは何故、己れの神秘体験を投影する素材として一遍を選んだのでしょうか。おそらくは芸能民も含めた「道々の者」達にとって、一遍は念佛の教えを自分達に広めた特別な存在だった事もあり、また、一の谷近くで終焉を迎えた上人の足跡が大変に親しいものだったからだと思います。
以前に「『自然居士』と『東岸居士』」を論じて、『東岸居士』を、世阿弥が初めて曲舞を作り、其処に自分の独自性を確立して行こうとする宣言の曲だと断じた事がありますが、その『東岸居士』の曲舞も一遍法語の引き写しでした。
私はこの『誓願寺』こそ、世阿弥の最初の夢幻能だと思います。後々の多くの傑作に繋がる「歌舞の菩薩」が登場する最初の曲でもあるでしょう。
今回シテをするに当たり、比較的早くから稽古に取り組む事が出来ました。夜念佛の一段ではその法悦境がひしひしと押し寄せて来るのを感じます。願わくはそれを当日見所の皆様と共有できます事を。
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