前々よりアナウンスして参りましたが、この度やっと Kindle より本を出しました。
下記URLよりご購入下さい。定価715円ですが、9月17日より30日まで、100円キャンペーンをしています。
この本では、かなり飛躍した事を書いています。研究者ならばとても口に出来ない様な事も、思い切って言ってみました。だからと言って唯面白いが為の主張をしたつもりはありません。何れもそれなりの根拠はあります。早くも何人かの方から感想を頂戴しました。
まだの方は是非読んでみてください。

自然居士(シテ)が雲居寺(うんごじ)で七日間の説教をするというので大勢の人が集まっている。そこに美しい衣を代物として、いたいけな少女が亡き両親の供養を願い出る。しかしここに荒くれ者(ワキ。人商人)が乱入して、この少女を連れ去ってしまうと、自然居士は少女が親の供養のために、自らを人商人(ひとあきびと)に売ったことを直ちに了解する。そしてこの女を救うべく、七日の説法を反故にして、大津坂本に向かう。 まさに舟を出さんとする人商人に追いついた自然居士は、裳裾を波に濡らして舟端に取りすがり、強引に船出を引き留めて舟に乗り込む。 代物の小袖を投げ渡して少女を返せと迫る居士に対し、人商人が仲間うちの大法を盾に拒むと、居士もまた仲間うちの大法を主張して梃子でも動こうとしない。ついに人商人はこれを持て余してしまう。とはいえこのまま素直に返すのは、腹の虫が収まらない。居士に舞を舞わせて、散々にからかって鬱憤を晴らそうとする。 笛に合わせてさらっと舞うが満足しない商人に、舟の始まりを黄帝の臣下貨狄(かてき)の故事から説き起こす曲舞を謡い、その最後には商人の舟を龍頭鷁首(りょうとうげきしゅ。帝の舟のこと。)に例えてご機嫌を伺う。調子に乗った商人が竹もないのに簓(ささら)を擦れと所望すると、難行苦行は仏道の習いとばかりに、簓の起こりを語り、再度「手を擦り」合わせて懇願する。人商人は遂に返す約束をし、最後に羯鼓を所望する。前腰に鼓を掛けて軽快に演奏しながら舞う自然居士。とうとう少女を取り返して共に都へ上って行く。
遠国から都に上った旅人が清水寺へ参詣すると、東岸居士という説教者が評判だと聞く。現れた東岸居士に、今日はどんな聴聞(説教)があるのか尋ねると、目前の春の気色の面白さに自身を投げ入れてみせる。続けて目前の橋は誰が掛けたものかを問えば、先師自然居士が掛けたものなので、自分もそれに習って橋を勧進しているのだと答える。出家以前の出自については、形に拘る出家の不条理を言い、ただそのまま道を行うことによって彼岸への橋に続くのだと答える。 そして常日頃の謡いによる説法を所望すると、それに応えて曲舞を謡い始める。仏の教えに身を任せてしまえば彼岸への道は何でもないはずなのに、自力で道を求めようとすると、様々な妄念に囚われて意のままにならない。他力への道こそが彼岸に通じるのだと説き聞かせる。 さらに旅人が褐鼓を打って見せて下さいと頼むと、松の音、波の声に和して面白く、演奏が終れば卒然としてそこに菩薩の化現を感得し、全ては一つの実相と知る境地に誘い、終曲となる。
『自然居士』の曲舞
〈クリ〉(シテ)そもそも舟の起りを尋ぬるに。水上黄帝の御宇より事起って。(地)流れ貨狄が謀計(はかりこと)より出でたり
〈サシ〉(シテ)ここにまた蚩尤(しゆう)と云へる逆臣(げきしん)あり。(地)かれを亡ぼさんとし給ふに。烏江(おうこう)と云ふ海を隔てて。攻むべき様もなかりしに
〈クセ〉黄帝の臣下に。貨狄と云へる士卒あり。ある時貨狄庭上(ていしょう)の。池の面を見渡せば。折節秋の末なるに。寒き嵐に散る柳の。一葉(ひとは)水に浮かみしに。また蜘蛛と云ふ虫。これも虚空に落ちけるが。その一葉の上に乗りつつ。次第次第にささがにの。いとはかなくも柳の葉を。吹き来る風に誘はれ。汀に寄りし秋霧の。立ち来る蜘蛛の振舞。げにもと思ひ初めしより。工(たく)みて舟を造れり。黄帝これに召されて。烏江を漕ぎ渡りて。蚩尤を易く亡ぼし。御代(おんよ)を治め給ふ事。一萬八千歳とかや。
(シテ)然れば舩のせんの字を。(地)公にすすむと書きたり。さて又天子の御舸(おんか)を。龍舸(りょうが)と名づけたてまつり。舟を一葉(いちよう)と言ふ事。この御宇より始まれり。また君の御座船を。龍頭鷁首(りょうとうげきしゅ)と申すも。この御代より起れり。
『東岸居士』の曲舞
〈次第〉(地)御法の船乃水馴棹。御法の船乃水馴棹。みな彼の岸に到らん。
〈一セイ〉(シテ)面白や。これも胡蝶の夢乃うち。(地)遊び戯れ。舞ふとかや。
〈クリ〉(シテ)鈔(しょう。「抄」に同じ)に又申さく。あらゆる所乃仏法の趣。(地)箇々円成(ここえんじょう)の道直に今に絶えせぬ跡とかや。
〈サシ〉(シテ)但し正像(しょうぞう)既に暮れて。末法に生(しょう)を享けたり。(地)かるがゆゑに春過ぎ秋来れども。進み難きハ出離の道。(シテ)花を惜しみ月を見ても。起り易きハ妄念なり。(地)罪障の山にハ何時となく。煩悩の雲厚うして。仏日の光晴れ難く。(シテ)生死の海にハ永劫(とこしなえ)に。(地)無明の波荒くして。真如の月宿らず。
〈クセ〉生を享くるに任せて。苦に苦しみを受け重ね。死に帰るに随って。冥きより。冥きに赴く。六道の巷にハ。迷はぬ所もなく。生死乃枢(とぼそ)にハ。宿らぬ栖(すみか)もなし。生死の転変をば。夢とや言はん。また現とやせん。これら有りと。言はんとすれば。雲と昇り烟と消えて後。その跡を留むべくもなし。無しと言はんとすれば又。恩愛の仲。心留まって。腸を断ち。魂を動かさずと云ふ事なし。かの芝蘭の契り乃袂にハ。屍をば。愁歎乃炎に焦せども。紅蓮大紅蓮の氷をば。終にしめす事なし。かかる拙き身を持ちて。
(シテ)殺生偸盗邪淫ハ。(地)身に於いて作る罪なり。妄語綺語。悪口両舌(あっくりょうぜつ)ハ。口にて作る罪なり。貪欲瞋恚愚痴ハまた。心に於いて絶えせず。御法の船の水馴棹。皆彼の岸に到らん。
来たる十月十八日(土)に名古屋観世九皐会で『砧』を致します。舞台へ向けての稽古の一環として、私の思う『砧』の魅力を纏めてみようと思います。
九州芦屋の領主(ワキ)が若い侍女夕霧(ツレ)を伴って登場して身の上を語る。「訴訟の為に上京し、直ぐに終わるつもりが三年になってしまった。故郷の事が心配なので夕霧を使いに下すことにする。」三瀬川沈み果てにしうたかたのあわれはかなき身の行く方かな女は幽霊となっても悲しみの淵に沈んでいる。「標梅(ひょうばい。『詩経』より仲の良い夫婦の象徴)は幸せの標として春に光を並べ、後生の標となる弔いの燈は秋の夜の月のように、真如の悟りを示してくれるものなのに、私はこうして弔いをしてもらっても、邪淫の罪に成仏することが出来ません。地獄の鬼は、砧を打てと鞭で責めます。妄執の涙が砧にかかると、涙は火炎となり、その烟にむせんで、叫んでも声が出ません。いくら打っても砧も音がしないし、松風も聞こえません。これでは私の想いはあの人に届かない。そして鬼が私を責める声ばかりが聞こえるのです。」